ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

親愛なるQに捧ぐ/加川良


 この間の日曜日は結局,雨が降ったり止んだりで走りに行かれなかったのですが,まあそれでもよく考えれば,月曜日と水曜日で200キロは走ったので,まだあきらめがつきますし,何より土曜日にプレトレをキレイにして,チェーンのオイルも塗り直して,パンクしたチューブも新品に交換して,非常に良いコンディションにしたのに,翌日に雨に降られたんじゃあ,やっぱり嫌ですしね。しかし,今日はそこそこイイ感じの天気なんですが,明日は降水確率が50パーセントなのはどういうことなの?と思ってしまうのですが,まだ夜の間に気圧配置が変わるかもしれませんし,明日の午前中まで様子を見ましょうかね。しかし,週に3日勤務第2週目でしたが,正直,しんどかったでございますよ。月曜日から水曜日まではジタバタと遅くまで仕事をさせてもらった上,よりによって水曜日に新しいクレジットカードの不在票が入っていたと夕方嫁さんから連絡があったので,これは受け取りに行って,auWILLCOMだけはクレジットカードの変更手続をしておかないといけないよなぁと思い,ヘロヘロになって家に帰ってから,プレトレに乗って郵便局までクレジットカードを受け取りに行かせていただきましたです。夜なので,マグボーイのダイナモライトを点灯させ,後ろはキャッツアイのテールランプを点灯させて,夜の道路を疾走させていただきましたです。午後11時ころだっていうのに人が結構いるので,車道を走らないと危ないよねぇというわけで,歩道は徐行をしつつ,車道に出たらうぉりゃ〜と走らさせてもらいましたが,ダイナモライトを点灯させているし,基本的に体がヘロヘロなのでそんなにスピードはでないだろうと思っていたのですが,プレトレのコンディションが良いこともあり,30キロオーバーで走らさせてもらいましたので少しスッキリしましたです。で,新しいクレジットカードを受け取ってから,家に戻り,晩ご飯を食べて,風呂に入ってから,ネットでクレジットカードの番号変更手続をしていると,あぁ寝るのが午前1時前ではありませんか。明日から出張だっていうのにと思ったものの山の中の支店を2日がかりでJRで回る出張だったので,電車の中で寝れば何とかなるかぁと安易にあきらめ,ヘロヘロの体で新幹線と在来線を乗り継いで,出張したのですが,山の中の支店は町の中に人の気配がなくて,本当静かでしたね。しかも,コンビニぐらいはあるだろうと思って,ビジネスホテルの朝食は頼まず,居酒屋のようなところで晩ご飯を食べてから,ウロウロとコンビニを求めて夜の国道沿いを歩いてみたものの,どこまで行っても真っ暗な国道で,これはあきらめるしかないかなぁということで,ビジネスホテルの自販機コーナーに行けば何かあるかもしれないと思い,ホテルに戻り,自販機コーナーを物色すると,カップうどんがあったので,翌朝はカップうどんを食べてから出発しましたとさ,ヤレヤレ。次に出張することがあれば,晩ご飯を食べる前に食料品店ぐらいはあるでしょうから,そこで何かをゲットしてから晩ご飯を食べに行くことにしようと固く誓ったフルカワでございました。

 さて,話は変わって,前回は加川良の“教訓”を紹介しましたが,引き続き加川良の“親愛なるQに捧ぐ”を紹介したいと思いますです。1972年にURCレコードから発売されたこのアルバムは,フルカワ的にはどうしようもなく名曲が詰まっているのに,聴いたことがあるからとアルバム自体は持っていなかったという,ひどい仕打ちをしていたアルバムなんですが,今回,Amazon MP3で手に入れることができたので,レビューを書くことにしましたです。しかし,Amazon MP3で買ったところまでは良かったのですが,少し残念なところもあったりするのですが,その辺仕方ないかとあきらめています。
 1曲目の“偶成”という曲は,作詞が浜田龍郎なんですが,ピアノ1本で始まり,加川良が淡々と唄い始めるのですが,この歌詞が溜まらないんですよね。「何も知らないお人好しの僕は,友からいつの間に裏切られていたのかも知らず。何も知らないお人好しの僕は,恋人がいつの間に心変わりしていたのかも知らず。(中略)いつも一人で友情のことを思い。いつも一人で恋人との将来を夢見ていたのでした。」なんて歌詞は,まさに10代の私の心を掴んで離しませんでしたねぇ。途中からストリングスが静かに入り,間奏ではフィドルがソロを取るんですが,このソロがまたいいんですよねぇ。で,最後の「何にも知らないお人好しの僕だって,知らず知らずのうちに,人の心を傷つけている。何にも知らないことの方が良いことだってあるでしょう。」なんて歌詞は今でも心にグサグサと突き刺さってきます。
 2曲目の“こがらし・えれじぃ”という曲は,原詩が福田善之で補作と作曲が西岡たかしなんですが,実はAmazon MP3だとなぜか入っていないんですよね。“偶成”で静かに始まって,この曲で加川良がギター1本で叩きつけるように唄い,そして次の曲へ繋がっていくという,アルバムの流れが,この曲が入っていないことで,少し違った感じに聞こえます。この曲自体も素晴らしい曲で,個人的には大好きな曲なんですが,今後,AMAZON MP3で販売されることになったら,速攻で買うことにしたいと思います。私は運良く、他の音源でこの曲があるので,なんとかなりますが,そうでない人はCDを買った方が絶対良いと思いますです。
 3曲目の“夕焼けトンボ”という曲は,加川良がアカペラで「夕焼けトンボは何故赤い。俺の涙を見過ぎたのだろうね。泣けないおまえは可哀想だね。」と誰かのことを夕焼けトンボに置き換えて唄っているのですが,なんとなく1972年ということもあり,思わせぶりな感じがしたりもします。
 4曲目の“靴ひもむすんで”という曲は,ここまでピアノとストリングスだの,ギター1本だの,そのあげくアカペラだのでしたが,ピアノの伴奏に多人数のコーラスで「両足揃え,靴ひも結んで,両足揃え,靴ひも結んで,出よう。」と唄い始め,スライドギターの音を中心にしたバンドのちょっとカントリーっぽい音が少し軽やかさを醸し出していますが,歌詞はやはり重たいんですけどね。結局最後は一人ぼっちでしかない自分と向き合うしかないんだということが徹頭徹尾唄われているのですが,それでも「両足揃え,靴ひも結んで」出て行かないと何も始まらないよと背中を押してくれる曲になっています。
 5曲目の“鎮静剤”という曲は,マリー・ローランサン堀口大学訳)の有名な詩に曲をつけているのですが,アコースティックピアノだけをバックに,マリー・ローランサンの巡回する歌詞を淡々と唄う加川良にグイっと引きずり込まれそうになるのですが,その後の女言葉を使いながらドロドロの歌詞を唄う加川良の原点になっているのかなぁと思ってしまいましたです。でも,この加川良がこの歌詞を取り上げたのは,「死んだ女よりもっとあわれなのは忘れられた女です。」で終わるところではないかと思ってしまいましたです。
 6曲目の“こもりうた”という曲は,フィドルだけの切ない音で始まり,壮士演歌っぽいなぁと思っていると,アコースティックギターが入り,タイトルは“こもりうた”なんですが,内容的には旅から旅へと唄い歩いている自分自身のことを唄っているのだろうなぁと思ってしまいましたです。「僕はさすらいの子,気ままな風さ。だから,そう僕はさすらいの子でいよう。」という歌詞はこれからも旅暮らしを辞めずに歌い続けるという風に受け止めさせていただきましたです。そして,今も加川良は歌い続けてくれているんですけどね。
 7曲目の“下宿屋”という曲は,これも素晴らしい曲ですよね。基本的にはギター1本のトーキングブルーズなんですが,この曲で「彼」と呼ばれているのは今は亡き高田渡で,高田渡の京都時代のことについては高田渡のバーボン・ストリート・ブルースという本を読んでいただければよく分かると思うのですが,そこには出てこなかったけれど,加川良も関わっていたかと思うと少し胸が熱くなってしまいますが,そんなことよりも,高田渡が言った言葉なのか,加川良が脚色した言葉なのかは分かりませんが,素晴らしい言葉がてんこ盛りの曲になっています。「やさしすぎる,話のうますぎる彼らの中にいるより,薄汚いカーテンのむこうの裸電球の下に座りたかったんです。」とか,「不精ひげの中からため息が少し聞こえたんですが,僕にはそれが唄のように聞こえたんです。」とか語った後,「一杯呑み屋を出てゆくあんたにむなしい気持ちが分かるなら,汚れた手のひら返してみたって仕方ないことさ。あせって走ることはないよ,待ちつかれてみることさ。ため息ついても聞こえはしないよ,それが唄なんだ。」と唄うのですが,その唄が染み入った後,「何がいいとか悪いとかそんなことじゃないんです。たぶん僕は死ぬまで彼になりきれないでしょうから,ただその歯がゆさの中で僕は信じるんです,唄わないことが一番いいんだと言える彼を。」という語りがあるのですが,この「唄わないことが一番いいんだ。」という言葉にも打ちのめされてしまいましたです。
 8曲目の“白い家”という曲は,明るめのギターのフィンガーピッキングで始まり,スライドギターの軽快なフレーズがやっと明るい気持ちにさせてくれます。タイトルは“白い家”なんですが,唄われているのは喫茶店の唄なんですよね。そういう意味では“白い店”の方が分かりやすいかなぁと思いつつ,喫茶店系のタイトルはなんか手垢が付いているというか,変なメジャー感があったのかなぁと思ったりもしますが,
 9曲目の“コオロギ”という曲は,アコースティックギターのフィンガーピッキングだけで,ポツポツと唄っているのですが,これが歌詞の内容と相まっていいんですよねぇ。特に最後の「一人ぼっちで死んで,コオロギのようになり。カラカラになって空っ風に飛ばされようか。」どこにも居場所のない自分を唄っているような気がして,非常に短い曲なんですけど,個人的にはインパクトのある曲になっています。
 ラストナンバーの“親愛なるQに捧ぐ”という曲は,私にとっては十分,今の唄として聴ける素晴らしい曲(「昨日は労音,今日,民音」のところを「昨日は○○,今日,○○」と変えてしまえば,全く違和感はありません。)です。ピアノ1本で静かに始まるのですが,加川良のピンと張りのある唄声を聴くと,こちらの背筋もピンと伸びてしまいます。バンドの音が入っても変わらないテンションのまま,最後までゴリゴリとした言葉を投げかけてくるのですが,多分,当時のフォークシンガーを取り巻く状況に対する想いを唄っているのだと思うのですが,ストレートに唄わず,1枚オブラートに包んでいることによって,逆に古くさくなっていないところが素晴らしいと思います。個人的には,最後の「もぐらはこの先どこまで進む。腹で笑って最敬礼。一生駄目なら,せめて死ぬ時,苦しかったよ,泣いてやる。たまにはつぶやいてほしい,くやしまぎれの捨てぜりふ。唄は世につれ風まかせ,コンコン唄うはキツネかタヌキ。」という言葉が最高ですね。プレトレで走っているとき,つい口ずさんでしまったりします。
 しかし,2枚目にしてすでにここまで来てしまった加川良なんですけど,なんと3枚目(URCレコードでは最後のアルバムになってしまいますが・・・)はライヴアルバムということで,それについては次回に書きたいと思いますが,本当,シブイアルバムになっているんですよねぇ。

 始めに書きましたが,クレジットカードがやっと届いたので,昨晩,出張から戻って,残りの登録カードの関係をシコシコと変更させていただきましたが,結構手間でしたね,やっぱり。過去にKDDIから一部個人情報が流出したということで,謝罪の連絡をもらいましたが,そのときは全く影響がなかったので,ふ〜んという感じでしたが,今回,どこかからそういう謝罪の連絡があったら,金銭面での実害はなかったものの,時間的には実害が非常にありましたので,一言,二言言わないといけないかなぁと思っていますです。しかし,金銭面での実害がなかったのは,たまたまセキュリティが固いカード会社だったので,カード会社側の決済をする前に怪しい取引だと気づいて確認をしてくれたからで,そうでなければ金銭的にも実害は生じていたでしょうからね。しかし,カード決済ができないと,ネット通販とか,ウイルススキャンソフトなどの定期的にバージョンアップしないと使えないものについては非常に便利が悪いので,今後はこういうことに巻き込まれないといいんだけどなぁと思っていますです。