ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

にんじん/友部正人


 この間の日曜日は夜勤明けで,明日は親戚の四十九日なので,水曜日にお休みを取らせてもらったところ,これがなんと良い天気でしたので,いつもどおり起きて,さっさと午前8時30分からプレトレで走り出し,風も良い感じで気持ちよく走っていたところまでは良かったのですが,2時間程度走ったところで,逆送してきたバカ女の小径車にぶつけられてしまいました。私の正面から逆送してきているので危ないなぁと思い,仕方なくブレーキを掛けたのですが,バカ女がそのまま突っ込んできたので,そのままぶつかってしまいましたです。で,バカ女は開口一番「どこ見てんのよ!」とのたまってくれたので,こちらはあきれるしかないんですけどと思っていると,「ライトが壊れているじゃないの。どうしてくれるの。」と言うので,「では,私がライトの修理代を出しますから,あなたが私の方の修理代を出してもらえますか。」と言うと「いくらになるのよ」と言うので,「フロントフォークが曲がっていると思うので,安く見積もっても1万円ですかね。」と私が答えると,さすがにホムセンで1万円で売っているような小径車に乗っているだけあって,顔色が変わり,「それじゃあ,お互い様ということで,いいにすればいいじゃない。」というので,このバカ女がとも思ったのですが,どうせきちんと支払ってくれそうにないし,そもそもこんなバカに連絡先を教えて関わり合いになるのも嫌すぎるので,「では,そういうことで。」と言って分かれたのですが,プレトレのスピードがちっとも上がらないので,よく見てみると,フロントのブレーキシューがリムに当たっていました。やっぱりフォークが曲がっているのかなと思いつつも,携帯工具でフロントブレーキのワイヤーを緩めて調整してみたのですが,やはり治らないので,これは帰ってリアルあさひに修理に出すしかないなというわけで,道を引き返したのですが,えぇ,いくら漕いでも15キロぐらいしか出ないと心が折れますね。しかも,足にはムチャクチャ負担は掛かるし,道路の流れに乗れないので怖いし。
 で,行きの倍近く時間を掛けて戻り,なんとかリアルあさひにたどり着き,話をしながら修理の見積もりをしていると,フォークはやはり曲がっているので交換,フロントのリムにも思い切り傷が入っているので,できれば交換した方が良い,その流れでフロントタイヤも少し裂けていて危ないので,交換した方が良いとのことでした。で,ホイール交換の話になったので,できれば同じアラヤのホイールが良いと伝えると,なんとシマノハブのクイックレリーズしかないとのこと。そりゃあそうだよなぁ,今のホイールはフロントを多段化してくれた自転車屋さんに「これ,ママチャリの細いハブを無理矢理ナットで止めているよ。ひどい仕事をするなぁ。」と言われたので,今回はきちんとしたのを履くかと思い,クイックレリーズで良いですと答えたのですが,フロントがクイックレリーズならリヤもクイックレリーズにしたいよなぁというわけで,こうなりゃ前後交換よ!というわけで,リアも交換することにしました。そうすると,オリジナルで付いているスプロケットはボスフリーなので,カセットを買わないといけないよなぁ,そうするとついでにチェーンも換えておくかというわけで,気がつくと本当にフレームしか残っていない状態になってしまいましたです。う〜ん,おかしいなぁ,当分はこれ以上はカスタマイズしないと決めていたはずななのなぁ。ちなみにお値段は工賃込みで3万5000円(前後のタイヤとチューブも交換するので。)でした。今行っているリアルあさひの店員は本当,商売が上手いなぁ。というか,前のリアルあさひがダメダメだっただけなんでしょうけどね。しかし,1万9800円の自転車にこんなに金をかけて,本当バカじゃないの?と自分でも思ってしまいましたが,もうここまで来ると,フレームが壊れるまで乗るしかないなぁと思ってしまいましたです。あぁ,これでまたTREKへの道が遠のいてしまった・・・いいんですけどね,プレトレ(しかし,もはやこれをプレトレと呼んで良いのか分からないが・・・)が大好きなんだから。しかし,今回のカスタマイズのキモはやはり,リアのスプロケシマノのハブだよなぁ。これまでのスプロケットはMF-TZ07(現行モデルはMF-TZ21)の歯数は14-16-18-20-22-24-28Tなんですが,今回はロード向けのCS-HG20-7にしたので歯数が12-14-16-18-21-24-28Tになるんですよねぇ。今,フロント38Tリア5速(18T)で走り出しているのですが,今度はリア4速(18T)で走り出すのかなぁと思っていますが,実はフロント多段化前はフロント38Tリア4速(20T)で走り出していたのが,クランクの効果なのかボトムブラケットの効果なのか分かりませんが,5速(18T)で走り出せるようになったので,今回,ママチャリハブからシマノの多分,アセラグレードのハブになるので,ひょっとしたら5速(16T)で走り出せるかもしれないなぁなどと思っていますが,さて,どうなるんでしょうかね。坂道や風がないときや追い風のとき,どこまで速度が出せるか楽しみですね。しかし,リアルあさひの店員に2,3週間待ってもらうかもと言われてしまったので,当分,プレトレに乗れないなぁとかなり休日をもてあまし気味になってしまう予感がしているのですが,まぁ更にグレードアップして帰ってくるプレトレを首を長くして待っていることにしたいと思いますです。で,仕上がったら,また写真をアップさせてもらいますです。

 前回の“大阪へやって来た”に引き続き,今回も友部正人の“にんじん”を紹介したいと思います。実は“にんじん”はこのブログの第2回目である2004年2月11日にも取り上げたのですが,昔のブログは雑ぱくとした印象を少し書いているだけなので,今回,新たにCDを買ったし,じっくりと掘り下げて取り上げたいと思いますです。まぁ,7年前に書いたものを読み直してみましたが,あまりにも淡泊すぎるので,やはり,これだけ自分に影響を与えたアルバムをこんな簡単に済ませることはできないという思いもありますので。このアルバムは1973年にURCレコードから発売されたセカンドアルバムで,前作と異なり友部正人の唄とギターとブルースハープだけのアルバムになっています。当時,ギター1本で唄っていた私は全曲コピーして唄っていましたですね。それくらい大好きなアルバムです。
 1曲目の“ふーさん”という曲は,僕とふーさんの関係はよく分からないのですが,どうやらふーさんは「手足のかわりにしっぽをはやしている」らしい。けれど,そんなことはどうでもよくて,友部正人がただギターを弾きながら唄い,ギターを弾きながらブルースハープを吹く,その音と,「あんまり長く一人ぼっちでいて,唇もこんなにかたむいてしまった。今夜はずっといっしょにいようよ,ふーさん」という最後の歌詞に本当,心を全て持って行かれてしまいます。
 2曲目の“ストライキ“という曲は,国鉄(念のために若い人のために説明させてもらえば,今のJRのことです。)がストライキをしたときの様子と,友部正人の心象風景を唄っているのですが,この唄もとんでもない言葉で,ザクザクと心が削られていきます。「くつの底まで泥水がしみ込んでくる。そんな憂うつな毎日だ。ねえ,あんたが待ちくたびれたものは,まだまだ来そうにない,電車でなくてもっと他のもの,何か他のもののような気がするよ。」,「足の踏み場もない程,何だかみじめな気持ち。いくらなぐっても傷つけたことにならない,そんな不安が君の黒髪をぬらすよ。」,「善人ばかりが世の中で,耳をたれちゃ,見ぬふり聞かぬふり。頭かくして尻かくさず,何やらおかしな金かんじょう。」とか,本当,詩人としか言いようのない言葉が染み込んできます。
 3曲目の“乾杯”という曲は,連合赤軍あさま山荘事件の逮捕時のニュース時の風景を唄にしたトーキングブルースなんですけど,これがまた素晴らしいんですよね。「未だにクリスマスのような新宿の夜。一日中誰かさんの小便の音でも聴かされているようなやりきれない毎日。」という言葉で始まり,「おぉ,せつなやぽっぽ。500円分の切符をくだせえ。」と唄われ,電気屋の前のテレビを見ている人が描かれ,「やり場のなかったヒューマニズムが,今やっと電気屋の店先で花開」き,一杯飲み屋に入っても酔っぱらいが「駅で倒れていた労務者には触らなかったくせに,ヤスコさんにだけは触りたいらし」く,「新聞は薄汚い涙を高く積み上げ,今や正義の立役者」であり,「もっとでっかい活字はないものかと頭を抱えている」。「乾杯,取り残された僕に。乾杯,忘れてしまうしかないその日の終わりに。乾杯,身元引受人のない僕の悲しみに。乾杯,今度会ったときにはもっともっと凶暴でありますように」と願い,「誰かさんが誰かさんの鼻を切り落とす。鼻は床の上で鼻しいと言って泣く。誰かさんが誰かさんの耳を切り落とす。耳はテーブルの上で耳しいと言って泣く。誰かさんが誰かさんの口を切り落とす。口は他人の靴の上で口おしいと言って泣く。僕は戸を横に開けて外に出たんだ。そこには鼻も耳も口もないきれいな人間達が右手にはし,左手に茶碗を持って新宿駅に向かって行進しているのを見」て,マスな人間を描き出し,そしてまた「おぉ,せつなやぽっぽ。500円分の切符をくだせえ。」と唄われて終わるのですが,本当,深すぎてコメントするよりも,そのまま引用した方がよく伝わると思い,基本的に引用させていただきました。ちなみに,この曲は歌詞カードに歌詞が掲載されていませんので,聴いた方にそのまま感じてもらえればと思いますです。
 4曲目の“一本道”という曲は,いろいろな人がカバーしたりして,本当,友部正人としては一番有名な曲ではないでしょうか。昔聴いたときもそれなりに心に染みましたが,歳を取って聴くと更に心に染み込んでしまう,素晴らしい曲です。「ふと後ろを振り返ると,そこには夕焼けがありました。本当に何年ぶりのこと,そこには夕焼けがありました。あれからどの位たったのか。」とか「しんせい(自分で唄うときにはハイライトって唄っていましたが)一箱分の一日を,指でひねってごみ箱の中。」とか,本当心に染みますです。最後の「お銚子の隙間からのぞいてみると,そこには幸せがありました。幸せはホッペタを寄せ合って二人お酒を飲んでました。その時,月が話しかけます。もうすぐ夜が明けますよ。」という歌詞は単に夜が明けるのではなく,生きてきて良いことがなくて,冴えない暮らしだったけど,そんな暮らしはもう終わりさというふうに受け止めさせてもらっています。本当,名曲ですよね。
 5曲目の“にんじん”という曲は,タイトルチューンなんですけど,いきなり笑いながら唄ってしまっているのに,そのままレコーディングしているところが凄いなぁと思っていると「片目をつぶったまま年老いた,いつかの素敵な与太者のうた。その昔,君にも生きるだけで,せいいっぱいの時があったはず。あげるものも,もらうものも,まるでないまま,自分の為だけに生きようとした。」なんていう,本当,重たいんだけど,心にズシンと今でも響いてくる言葉が唄われていて,やられた・・・という気になります。そして,最後に「そのうちみんな昔なつかしいおじいさんになってしまうのかね。」と唄って終わるのですが,その後に延々と吹かれるブルースハープの音色とメロディーが本当,たまらなく素晴らしいです。本当,この曲は酒を飲んではギターを弾きながらよく唄わせてもらった,私にとっての思い出の曲ですね。
 6曲目の“トーキング自動車レースブルース“という曲は,富山県高岡市での暴走族の皆さんの騒ぎを唄(トーキング・ブルース)にしたものなんですが,本当,友部正人が軽やかに言葉を紡ぎ出しています。この曲も歌詞カードには歌詞は載っていないのですが,素晴らしい歌詞がてんこ盛りなので,ぜひ聴いて感じてもらいたいなぁと。人間の残酷さと無邪気さと悪意を,笑いながら唄う(というよりも語る)友部正人の素晴らしさを感じてもらえればと思いますです。最後に「もしかしたら,この東京にも熱くて無責任な風を期待して一晩中たたずんでいる僕みたいなイカレポンチがいるかもしれないね・・・いるといいけど。」と自嘲気味に唄って終わるのですが,そんなイカレポンチは嫌っていうほどいますよ・・・と思ってしまいましたです。
 7曲目の“長崎慕情”という曲は,最初の「もつれた足を夜汽車にまたがせて,一晩眠ればもう長崎」で始まる,友部正人の目で見た長崎の風景なんですが,この唄も非常に好きな唄で,本当軽やかに心証と情景を織り交ぜながら言葉を紡いでいく様は素晴らしいです。最後の「帰りたくないあの町には,帰りたくないどこへもさ。空じゃ入道雲が腕をふり上げ,道ばたじゃお婆さんがこっくり居眠り。僕はアパートの貼り紙をながめて,デモ長崎,僕にはさわりきれない。」というフレーズからどこにも帰るところがない根無し草な生き方を選択しているのか,それとも旅行者として,またその後の日常に戻らなければいけないのか,どちらなのかは分かりませんが,どちらであったとしても,十二分によく分かってしまいます。
 8曲目の“西の空に陽が落ちて”という曲は,このアルバムの中では私的には最も重たい唄で,人と繋がっていたいのに拒絶されてしまう辛さを唄っているのだろうと思います。「人待ち顔の退屈な毎日だ,のっぺらぼうの肉の腕だ。」,「もっと優しくしてほしいんだ,ほらこんなに大きな町じゃないか。一つの町,一つの暮らし,一人の僕。ただそれだけでいいはずなのに。」と唄い,最後に「誰もが家路を急ぐから,ずーっとこうしていようと思うんだ。」という自らが拒絶することでバランスを保とうとしているのではないか(深読みのしすぎか?)と思われる言葉で終わるのですが,これだけ救いようのない唄だと吹っ切れますね。
 9曲目の“夢のカリフォルニア”という曲は,カリフォルニアへ行ったことのない友部正人が,アメリカの友人のことを思いながらというシチュエーションの曲で,この唄がまたいいんですよねぇ。「下を見ると,そのままどこまでも,どこまでも,おっこちていきそうな。手を伸ばすと,そのままどこまでも,空までも届いてしまいそうな。行くももどるもままならない,不器用で卑怯な毎日だ。」と自分の生活を振り返りながら,「大きな体の上に小さな頭。小さな頭の中にはてしない顔。はてしない顔がまんじゅうのように笑って,ドント・シンク・トゥワイスを唄いはじめる。ハサミじゃ切りとれない形,ジャックを誰にも抱けやしない。」と友人の素晴らしさを唄い,そして「今,僕は6畳のアパートで二日酔いの汚れた枕を抱いている。」とどうしようもない自分の生活を振り返るのですが,それがあまりにもサラっとしすぎていて,もう肯定することで生きていくことにしたのかなぁと思ってしまいました。
 ラストナンバーの“君が欲しい“という曲は,イントロもなにもなしでいきなり友部正人が唄い始めるのですが,タイトルは直接的なんですけど,歌詞は少しも直接的にはなくて,最後に「君が欲しい」と唄うのですが,それでもどうにもならない感情に動かされながら,「君が欲しい」という一言に集約していく術は本当に素晴らしいと思いますです。「いろいろ手をかえ,品をかえ,西洋仕込みの恋愛人間。ポケットの中にはいつも領収書。僕はこんだけやりましたよ。」とか,「今夜悲しみはひげをはやし,幸せはいつまで口ごもる。」とか,うまくいかない恋愛のどうしようもない感情が伝わってきます。実はこの曲もカバーして,よくライヴで唄っていたなぁと思いだして少ししんみりしてしまいました。
 個人的には前回の“大阪へやって来た”は他者への攻撃も含めた対外的なアルバムでしたが,“にんじん”は自分の内へ内へと向かう内省的なアルバムではないかと思います。どちらが好きかと聞かれれば,どちらも好きですが,全て友部正人のギターとブルースハープだけの“にんじん”の方がコピーして唄った回数としては多いのではないかと思いますです。

 しかし,プレトレに乗れないということは,プレオに乗りなさいということだよなぁ,車検も11月20日に入れたし。まぁ明日の四十九日は当然,プレオで行くし,久しぶりにプレオでいろいろ走りに行こうかなぁ,車検や点検のたびにもう少し距離を乗らないとバッテリーが上がりますよと良く言われるし(実際,購入後14年目ですが,走行距離は約2万4000キロ。正直,1か月の走行距離はプレトレの方が多いんですよね。)。よし,ガソリンもこの間満タンにしたし,プレトレが治って戻ってくるまでは,プレオで走り回ろうと思っています。
 で,始めにプレトレのホイールを前後ともクイックレリーズ化すると書きましたが,そうすると,プレトレを輪行袋に入れることができるということになるではありませんか。そうすると,輪行袋に入れてプレオで遠くまで行ってプレトレで走ったり,新幹線定期の範囲で思いっきり遠くまで行って,プレトレで走ってみたりもできるではありませんか。う〜ん,なんか楽しみが拡がりまくりだなぁ,こりゃあ3万円以上突っ込んだ以上は更にプレトレに楽しませてもらうことにしようかなぁと思っています。しかし,そうすると輪行袋だのなんだのとまたいろいろ買わないといけないので,その辺はゆっくり考えることにしたいと思いますです。