ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

大阪へやって来た/友部正人


 前回,プレトレのクランク辺りから異音がするのとりあえずペダル等を増し締めして,シートポストをグリスアップしましたと書きましたが,その翌日,往路の向かい風に負けずゴリゴリと80キロほど走りましたが,無事,異音が解消しましたです。多分,異音の原因はシートポストだったのではないかと思っいますです。異音については一安心なのですが,そろそろチェーンを換えて1年になりますし,昨年の12月にヤフオクで落としたシングルクランクが厚歯用だったので,チェーンがダンゴになったりしたので,かなり負担をかけていますし,そもそも峠だなんだと結構ゴリゴリと走っているので,チェーンもそろそろ限界ではないかなぁと思っていますし,そうならリアのスプロケットもそろそろ換えた方がいいんでないかい?などと思いながら,また,少し悶々としていようと思っています。
 しかし,この間の日曜日の復路は気持ちの良い追い風で30キロ以上でスイスイ走らせてもらいましたです。で,復路の途中でそこそこの速度で走っているアンカーに後ろを走っていたのですが,どうもちょっとノンビリしたペースだったので,申し訳ないのですが抜かせてもらい,その30分後,今度はシルバーのアルミクロスに乗った,いかにも体を鍛えていますといった格好の人がいたので,この時点で70キロ近く走っていたので,まぁ無理せず走ろうかねえと思いつつ,結局は抜いたのですが,抜いた後,このアルミクロスがピッタリ後ろを付いてきて(途中で結構離したりしたのですが,信号待ちで追いつかれてしまいました。),抜きたいのなら抜いてくれればいいのになぁと思っていると,途中の信号待ちで横断歩道を渡って,私とは別の方向へ進んだので,一体何に乗っているのかなぁと思ってよく見てみると,プレスポでした。おぉ,少し仲間!と思いつつ,自称「プレスポよりもスポーツ」と冗談半分に言っていましたが,まんざら嘘でもなかったかな?と思ってしまいました。まぁ,ハイテンフレームですけど,フレーム以外のパーツは純正のプレスポよりも良いパーツが付いていますし,常用域では7速の14なんてそんなに踏めないので,多分,プレスポも8速の11なんて踏めないでしょうから,下りの峠でないかぎり,そんなに差はないのかなぁと思ったりもします。

 さて,実は私のブログも400回目で,よくこんなにネタが持つよなぁと自分でも思っていますです。で,記念すべき400回目に何を取り上げようかなぁと考えてみたのですが,最近手に入れた Public Image Ltd.の“Plastic Box”もいいかなぁと思ったのですが,実はこれCD4枚組なので,まだまだ聞き込めていないので,ここはやはり私の原点に返って友部正人を取り上げるしかないと考え,今回が友部正人のデビューアルバムであり,1972年に発売された“大阪へやって来た”を紹介したいと思います。実はこのレコードはSMSレコードが復刻したLPも持っているのですが,さらにポニーキャニオンレコードから発売されたCDも飼ってしまいましたです。このアルバムは本当にものすごく私に影響を与えたアルバムで,1曲だけ3分程度の曲がある以外は全て5分以上の曲ばかりで,私も自分の言葉を詰め込んで,長い曲を作ってもいいんだという思いにかき立てられ,若気のいたりでほとばしる言葉をそのまま歌詞にしたものでした。レコードを買ったときも,実は14歳のときに自分以外の家族がちょっと旅行に行くことになって,食事代として6000円くらいもらったのですが,その食事代から4000円を使って,このアルバムと“にんじん”(これも名盤ですねぇ。次回は“にんじん”を取り上げたいなぁと思います。)を買って,自分で安い食材を買って,自炊して,レコードに針を落としたときの衝撃は今も忘れられないですね。
 1曲目の“大阪へやって来た”という曲は,友部正人がアコギをかき鳴らし,ブルースハープが鳴り,友部正人の少ししゃがれた声でトーキング・ブルースが唄われ始めるのですが,これを初めて聴いたとき,本当,ぶっ飛びましたよね。「南へ下る道路には避難民があふれ,僕は10トントラックで大阪へやって来た。インターチェンジはいつも雨で匂いでいっぱいだから,僕は痩せて立つ。」と唄っている部分以外は全てトーキング・ブルースで,友部正人の情景や感情を描写した言葉が次々と連射されていく様は今聴いても圧巻です。「あれはいけない,これがいいのさ。でももう結構。僕は誰が素敵な奴かを知っている。」とか「誰かが言ってたっけ,お前は気楽に暮らしていていいって。じょうだんじゃない,何が気楽なもんか。いつまでたったって落ち着く当てもなく,まるで意気地がないまま,まだフラフラしている。」とか,あの時代の焦燥感が言葉の端々からにじみ出ているところも大好きですですね。
 2曲目の“酔っぱらい”という曲は,いきなり「歩道では首のない小鳥たちが,我先にと騒ぎ立てている。」などといきなりどうしようもない感をにじみ出しているのですが,西岡たかしの弾くジャズハープのビヨビヨという音が何か救いになっているように感じるのですが,「もうこれでおしまいにしようと思って,酔っぱらってみたのです。」という自虐的なフレーズがもうどうしようもない感じで,本当,ダウナーな気持ちにさせてくれますですが,それでも大好きな曲ですね。
 3曲目の“もしもし”という曲は,友部正人のフィンガーピッキングをバックに唄われる曲なんですが,「もしもし大工さん,ぼくの窓枠をはずして下さいな。」で始まり,終わるという,自分の殻を窓枠を言い換えて,それをどうにかしたいと思いながら,自分ではどうしようもできずに,自分の嫌な面を見つめ返すという,これも救いようのない唄なんですけど,友部正人の声で唄われると,私も同じ気持ちになってしましますね,今でも。
 4曲目の“まるで正直者のように”という曲は,バンドアレンジの10分を越える大作なんですが,いきなり「昼頃目を覚ましあんたは出かけてくる。」と,すでにこの時点ではダメな奴なんですけど,友達だった奴を見放すときの気持ちをただただ唄っているのですが,本当,1つ1つの言葉が素晴らしすぎて,10分があっという間に終わってしまう感じです。「遅くまで話込もうよ,コーヒーでも飲みながら。でも,片手で耳をふさいでいては何も聞こえないでしょう。」とか「あんたはいつも人をごまかしていると言うけど,あんたは自分の影を踏んでるだけだよ。」とか本当,素晴らしい言葉が並んでいるのですが,やはり圧巻は最後の「どれだけのコートで身を包めば話が始まるのだろう。毎日の議論の結果の一人よがりをみつけた。まるで宣教師のようにあんたは立ちはだかるけど,でも僕は今のんびりと彼女を待ちたい気分。」という言葉かなぁ。やっぱり大好きな曲ですね。
 5曲目の“真知子ちゃんに”という曲は,レコードであればB面1曲目なんですが,カーターファミリー奏法っていう奴で少しひねくれた友部正人のラブソングになっています。「赤いコートにブルージーンをはいて,君は夜中にうろつき廻れる。」なんて言葉をラブソングの最初のフレーズにしても良いだなんて,本当,大発見でしたです。「君の心にある,たった1つの口が,いつも僕をピエロにしてしまう。」という言葉は10代の自分自身を振り返ると,本当,どストライクな言葉だなぁと,遠い目をしてしまう私でございました。
 6曲目の“梅雨どきのブルース”という曲は,雨の降る日に1人の部屋で自分を振り返りながら,自己批判をしているという歌詞なんですが,アコギとブルースハープだけの演奏なんですけど,友部正人の言葉とブルーハープのやりとりが素晴らしいです。あの娘からのたった1回きりの手紙を読み返して「すっからかんの僕はつい,恋しさまで値切ってしまって。いやだね,嫌みばかり先に立っちゃって,ああうんざりだね。」と思ったり,「あんまりいい人達に囲まれて暮らしてて,僕は何故か水びたし。」になり「いやだね,いつまでいい子でいるのかな,ああうんざりだね。」と思ったりと,本当,ネガティヴな言葉ばかりなんですけど,非常によく分かってしまうんですよねぇ。
 7曲目の“まちは裸ですわりこんでいる”という曲は,アコギ1本で唄っているんですけど,本当に大好きな曲で,「街ははだかですわり込んでいる。夢を見ようにもあてがない。最後の幸せをポケットに,君は旅立とうとしている。」という言葉で始まり,「肩はこんなにもあかさびだらけ。僕もそろそろ腰をあげようか。ビスケットの匂いのするフランスまで。」という言葉で終わるのですが,描写をしながら,心情を重ねていき,友部正人の世界にぐいぐいと引き込まれて行ってしまいます。本当,アコギ1本のシンプルな唄なのに,どうしてこんなに引き込まれてしまうんだろうと思ってしまう曲です。
 ラストナンバーの“公園のベンチで”という曲は,11分を越える大作なのに,アコギとブルースハープだけで唄いきってしまうというとんでもない曲なんですが,個人的にはいつ,どこで聴いても,どこかのフレーズがいつも心に響くというとんでもない曲です。「公園のベンチで目をさましたとき,噴水の周りには誰もいなかった。」とか「ある時偶然,唄がきこえて,暗い農家に泊めてもらった。猫とじゃれながら晩メシを食べた。でも東北弁なんてわかるわけないよ。」とか,「一年前愛した,小さな女の子。今じゃ話もできるわけないよ。」とか,「この世の片隅で遊ぶ子供達を,そっと抱きしめ,そっとキスをした。」とか,本当にもうたまらないなぁと思うのですが,やはり一番好きなの言葉は最後に繰り返される「でも僕は知ってるよ。あいつを誰も鎖でつなぐことはできないよ。」という言葉なのですが,あいつとは友部正人であり,この曲を聴いているだれかであり,そして私なんだと思っています。
 しかし,こうやって久しぶりに通して聴いてみて,本当にこのアルバムの素晴らしさを実感しました。こんなアルバムに14歳で出会ってしまったら,もうギター1本で自分の言葉で唄を唄うことを選ばざるを得ないよなぁと,また少し遠い目をしながら,思ってしまいましたが,このアルバムを発表したときの友部正人は22歳だったことを考えると,この完成度の高さには本当に感動してしまいます。今のくだらないJ-POPの言葉にうんざりしている人にはぜひ聴いてほしいと思うアルバムでございます。

 今日はお休みなのですが,実は休日夜勤を命じられ,もう少ししたら荷造りをして仕事に出発しなければいけないんですよねぇ。多分,睡眠不足で明日は走りに行けないと思うので,プレトレの整備でもしようかなぁと思っていますです。で,来週のどこかで休暇を取らせてもらって,また100キロライドでもしようかなぁと密かに思っています。まぁ,今週は今日の午前中に銀行に行ったりするのに少し(本当に少しですけど。)プレトレに乗ったので,まぁそれで良いということにしたいと思います。明日,睡眠不足で無理して乗って,途中で事故しても仕方ないしね。ロングライドは家に帰るまでがロングライドですからね。