ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

ドキュメンタリー頭脳警察第2部/頭脳警察


 暑さ寒さも彼岸までとは,昔の人は本当によく言ったもので,今週はやっと最高気温35度の世界を脱出し,気温30度という感じになり,少しは体も楽になったかなぁと思いつつ,よく考えると,昔は気温30度を超えると真夏日とか言っていたよね,とデジタル時計に付いている温度計を見てみると30.6度でした。でもまぁ,職場の温度設定は28度ですし,職場と違ってTシャツ1枚なので,まぁ適当に涼しい感じですけどね。
 で,話は変わりますが,先週の木曜日から今週の月曜日まで1日おきに飲み会(結婚式の披露宴も含む。)が入り,そのうち2日は終電で帰るというあまりにもハードな日程だったので,水曜日に1日休みを取らせてもらったのですが,子供の学校の関係もあるので,あいかわらず午前6時に起き,家族がいなくなった午前8時から10時30分まで二度寝をさせてもらいました。気持ちよかった,というか,ちょっと少し前なら暑くてこの時間に眠ることなんてできなかったのに,すっかり気持ちよく眠れたことにびっくりしてしまいましたです。で,ごそごそ起きて何をするかと言えば,当然,プレトレの整備しかないです。で,午後から4時間ほど山の方へ走っていったのですが,曇っていたこともあり,涼しいのなんのって,日曜日に海岸線を走っていたときには,道路脇の温度表示には36度とか表示されていたのに,山の中は曇っていたこともあってなんと23度という表示でした。一気に10度以上の温度差なんてと思いつつ,涼しいからいいかぁというわけで,ゴリゴリと走ったのですが,さすがに涼しいので,水分補給の休憩は2時間走って折り返すときだけで大丈夫でした。しかも風向きがよく,どうせ速度の出ない上り坂のときに向かい風だったので,帰りは非常に気持ちよく走れ,4時間10分で85キロほど走ってきましたです。アベレージ20キロならイイ感じですね。いつも,こうありたいと思うのですが,風向きばかりはねぇ・・・と思ってしまいましたです。

 というわけで,今回も引き続き“ドキュメンタリー頭脳警察”の第2部を語りたいと思います。第2部は2008年の頭脳警察再始動のシーンから始まり,TOSHIと初期頭脳警察のベーシスト石井正夫の会話が入るのですが,ロッカーっぽい風貌を維持しているPANTAとTOSHIに驚いてしまいましたです。西部講堂でのライヴからPANTAソロ時代のハードナンバー“R☆E☆D”が流されるのですが,少し昔の唄なのに,唄われている内容は全く色あせていないというか,世の中が全く変わっていないことに驚かされてしまいました。う〜ん,はっきり言って凄いなぁと思ってしまいました。しかし,最初の登場時はサラリーマンぽかった菊池琢己が髪を伸ばしてひげを生やし,すっかり怪しいおじさんになっていたのは笑ってしまいましたです。
 そして,頭脳警察2のタイトルが表示され,頭脳警察再始動より2年前のテロップが入り,中山ラビ佐渡山豊の唄う“NO MORE RAIN”のライヴ映像になるのですが,これが豪華ラインアップで,ドラムがTOSHI,ベースが石井正夫,コーラスがPANTA遠藤ミチロウだもんなぁ。そうこうしていると,PANTA氷川丸最後の日に乗船をするシーンに切り替わり,従軍看護婦であった母親が戦地から戻ってきたときの話をしみじみと語り,「この船がなければこの世に生を受けてなかったんだよね。」という一言の重みを感じましたです。
 で,PANTAと菊池琢己のアコースティックユニット響で“氷川丸”が演奏されるのですが,シンプルな音にPANTAらしいきれいなメロディーにこれでもかっていうくらい生々しい歌詞が差し込まれるのですが,この辺もPANTAらしいなぁと思ってしまいました。
 それから,また氷川丸の話に戻り,氷川丸の乗船員に会いに行って話を聞き,戦争中は報道管制が引かれていたので,氷川丸のことも,病院船であったことも誰も知らないし,知りようがないという,戦争とはこんなもんだということを突きつけられました。それから,氷川丸の運行記録がある日本郵船歴史博物館を訪れ,母親が氷川丸に乗った記録があり,その事実に歓喜するPANTAを見て,PANTAの母親に対する気持ちに少しジンとしてしまいました。その後,PANTAの母親の上司であった元軍医宅を訪れ,話を聞くのですが,元軍医の「別天地でしたよ。」っていう一言が良い意味かと思ったら,「毎日爆撃で。」と続き,愕然としてしまいました。
 で,画面は陽炎のライヴ映像に切り替わり,“氷川丸”のバンドアレンジバージョンが演奏されるのですが,ポップさが3倍増しになっていて,これはこれでカッコヨシと思ってしまいましたです。
 続いて,陽炎でPANTAソロ時代の名作“マラッカ”が演奏されるのですが,PANTAが全く変わっていないことに本当に驚くと同時に,やはり名曲だなぁと思ってしまいましたです。
 そして映像は響きのレコーディングに切り替わり,このレコーディングは重信房子の詩に曲を付けるというコンセプトで作成され,重信房子の直筆の手紙が写され,最後の署名が1970年代に呼ばれていた「ふう」で締めくくっていたところはいろいろな意味でさすが!と思ってしまいましたです。そしてレコーディング作業は進んでいくのですが,途中で響のライヴから“七月のムスターファ”が挟まれるのですが,この曲が,またいい曲なんですよ。PANTAは理解することはdけいないが,事実を唄うことはできるということで,たった1人の14歳の少年が200人のアメリカ空挺師団と戦った話を唄にしていますが,そのことを曲にするだけで十分異端なんですけどね,PANTAさん。まぁ,そんなPANTAだから好きなんですけどね。
 そして,またレコーディング風景に切り替わり,そこに重信メイが登場し,“母への花束”という曲のレコーディングがされるのですが,PANTAの歌詞に一部ダメ出しをするところは,さすが重信房子の娘!と思ってしまいましたです。私なら絶対畏れ多くてできませ〜ん。
 レコーディング風景はいったん休憩し,TOSHIが参加している三上寛のバンド,三社のライヴ映像で“戦士の休息”が流れるのですが,これが凄い。(多分)グレッチを弾きながら唄う三上寛にフリーキーなサックスとどらむが絡むという,三上寛がフリージャズ系で人気があるのも分かるような気がしましたです。その後の打ち上げでTOSHIのPANTA評があるのですが,これが正に的確で,さすが長く連れ添っているだけあるなぁと思ってしまいましたです。
 映像はまた変わって,今度は陽炎のライヴ映像で“終宴 THE END”が流れるのですが,シンプルな8ビートのミディアムテンポのロケンロールで,間奏の菊池琢己の唄うようなギターソロがカッコイイです。
 映像はまたレコーディング風景に戻り,菊池琢己が重信メイに歌唱指導をしているのですが,重信メイの唄が格段に良くなっていてびっくりしましたです。その横で疲れ果ててねむっているPANTAに笑ってしまいましたです。
 それから陽炎のメンバーがダビングのためにスタジオを訪れ,それぞれインタビューを受けるのですが,陽炎のメンバーがツアー先で頭脳警察の冠を勝手に付けられたとかいう切ない話をしていましたが,ツアーラストの映像でPANTAが「東京ローカルバンド,陽炎!」っていうシャウトがカッコイイ!とと思っていると“新宿A子バックレブギー”が始まるのですが,タイトルどおりゴリゴリのロケンロールナンバーでございます。中山努のエレピも菊池琢己のギターも大爆発でございます。
 場面は変わってライラのバラードのコーラス入れのシーンになるのですが,菊池琢己のシャウトがなかなかカッコヨイです。
 また,場面は変わり,響のライブ映像になり,“独りぼっちの子守歌”という重信房子が作詞をした曲を唄うのですが,「あのとき欲しかったのは勇気」という歌詞が今の重信房子らしいなぁと思うと同時にフォークロックな曲に菊池琢己が弾く(多分)グヤトーンのダブルネックギターがマッチしているなぁと思ったりもしました。
 そして,映像はまた陽炎のライヴ映像に替わり,PANTA&HAL時代のハードナンバー“ルイーズ”になるのですが,足を骨折して座ったままでノリノリに唄うPANTA,っていうか,座って唄っているのに,なんなのよ,このドライヴ感はって感じなんですけど。
 映像はステージに前の松葉杖をついた痛々しいPANTAが撮されるのですが,本番が始まるとあの迫力だもんなぁ,さすがですよね。で,またライヴ映像に戻り,“Cruisin'”が始まるのですが,PANTAらしい壮大なメロディーと歌詞でこれまたカッコイイです。
 タイトルロールは,響のライヴ映像で“ライラのバラード”が流れるのですが,第1部で流れたものとは異なり,より壮大なストーリーの歌詞になっていて,やられたなぁという出来になっていましたです。
 そして画面には「頭脳警察 再始動まで あと3ヶ月」のテロップが流され,第3部の予告編が流されます。頭脳警察40周年ということで復活した頭脳警察と支援特型“陽炎”ということで陽炎のメンバーに動揺が拡がったりもするのですが,PANTAの「止まっているということと,変わらないっていうことは違う。」という重たい一言が入り,「40年間変わらない伝説のバンド ついに頭脳警察第3部作完結!」のテロップが入り,気持ちを盛り上げさせてくれますが,第3部は次回に。

 この間の日曜日は向かい風が強いながらもシコシコと海岸線を走っていたのですが,その帰り道に川沿いにある自動車は通行禁止になっている長い直線道路があることを思い出し,こうなりゃ平地での最高速アタックでもやってみるかぁと思い,50キロ以上走った後だっていうのに,バカだから最高速アタックをやってしましましたです。個人的にはこれまでは平地では37キロが最高速だったのですが,今回は路面の状況や風の向き等,非常に好条件が揃ったおかげで平地で42キロという自分としてはとんでもない速度をマークすることができましたです。やればできるぜプレトレは!と思ってしまいましたです。
 で,前回,GIANT 2011年モデルのESCAPE RX3がメチャカッコイイと書きましたが,やばいよ,物欲で心が揺れ動きそうだよ。というわけで,こうなればプレトレのクランクを3枚にして,この物欲を吹き飛ばすしかない!というわけで,ブログを書き終わったら,リアルあさひに行って,シェボートレッキングアルミのクランクを付けることができないか聞いてこようかな?と思っていますです。1万円程度でフロントが3枚にできるのであれば,交換するのもいいかなと思っていますです。シェボートレッキングアルミのクランクは42,34,24と最高速はそれほど伸びないかなと思いつつ(プレトレは38),34なら7速まで余裕で使えるし,42なら当然,今より速度は上がるし,24なら峠もかなり楽になるので,走れる範囲が増えるかなぁと思ってもみたりしますが,果たしてリアルあさひでどう言われるのか楽しみにしておきたいと思いますです。
 でも,まぁ,フロント3枚にできなかったとしてもESCAPE RX3に浮気をすることはないと思っていますけどね。