ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

アフター・ザ・レッド連合赤軍兵士たちの40年/朝山実


 前回,WellgoのLU-C16というシールドベアリング仕様のペダルを買ったものの,それなら始めから付いているリフレクターも外側に寄せてやれ!とばかりに作業をしていると,パキっという音とともにリフレクターが砕け散ってしまったので,夜勤に出勤する前の職場の近くのビックカメラでリフレクターを漁ると書きましたが,予定どおり,出勤前にビックカメラに行くとあるではありませんか,キャットアイのリフレクター6枚セットが280円で。というわけでイソイソと購入し,翌朝,帰宅してから寝ればいいのに寝れるわけもなく,リフレクター取り付け作業に入ったです。シコシコとリフレクターを削り,片方のペダルには比較的すんなりとリフレクターが付いたのですが,もう片方は,2回とも途中までしかリフレクターが入らず,やむなくまたもやパキっと割らせていただいて,3回目のようやく取り付けることができましたです。しかし,日曜日は雨だったので,取り付けることはできず,午後から寝袋にくるまって昼寝をさせてもらいましたです。
 と思っていると,月曜日はいきなり仕事で終電帰りとなり,翌火曜日は4時間睡眠で出勤して,寝不足で腰が痛いなぁ,今日はサクっと帰るかねと思っていたのに,結局仕事が終わって家に着いたのは,午後10時過ぎでした。というわけで体力的にも限界が近かったので,水曜日はお休みをいただき,ゴミのように眠り,午前中のうちにまずはペダルを交換しましたです。今回はペダルレンチは使わずアーレンキーで締め込んだので,前回のペダルのようにネジ山をつぶすこともなく,キレイなままで取り付けることができたので,非常に満足でございましたです(もちろん,固着防止でデュラグリスは塗らせてもらいました。)。で,早めに昼食を食べて,午後1時から久しぶりにフルに4時間は走れるので,80キロは走るかぁ!とプレトレで走らせてもらいましたです。空は曇り空だったのですが,降水確率は10パーセントだったので何とか家まで雨に降られることなく,走りきりましたです。で,復路でペダルの片方がなんか薄緑色だなぁと思えたので,信号待ちのときに確認してみると,ペダルのグリスがはみ出ていましたです。まぁ,前後のホイールを交換したときにも,フロントハブから余分なグリスがはみ出していたので,そういうこともあるだろうということで,家に帰ってから拭き取らせてもらいましたです。で,新しいペダルのWellgo LU-C16の感想ですが,やはりペダルの裏表がないのは便利ということですね。これまで使っていたWellgo M-21は裏表があり,表側がシャフトの上側になっていたことから,裏側を踏むとシャフトが足に当たって,なんか変な感じがしていたのですが,LU-C16は両面ともペダルから均等な位置にあるので,裏表がない(正確には,前側と後ろ側で若干デザインが異なるので,裏表はあるのですが・・・)ので,走っている途中でペダルをひっくり返して踏み直す必要なないので,非常に走りやすいですね。ペダルの当たりがまだとれていないので,まだまだこれからだとは思いますが,この点だけでも交換した甲斐ははあったというもんです。これから日が延びて,暖かくなると,ゴリゴリと長距離ライドができるようになる(さすがに冬は日が短い上,陽が落ちるとあっという間に寒くなるので,できるだけ午後5時には家に着くように走っていたので。)ので,ペダルの当たりが取れたら,これはこれでまた楽しいだろうなぁと思っていますです。回転系のパーツのロスが少なくなると走りが楽になるのは,これまでのパーツ交換で経験済みですしね。

 さて,今回は朝山実の“アフター・ザ・レッド連合赤軍兵士たちの40年”という本を紹介したいと思います。今年はあさま山荘事件から40年(昨年は永田洋子も亡くなりましたし。)ということで,なんか連赤関係のモノが出るのではないか(山本直樹のレッドは除く。)と思っていたところ,2ちゃんの連赤関係のスレで「アフター・ザ・レッド」という言葉が出ていて,これはなんだろうと思ってアマゾンで調べてみると,山本直樹のレッド関連の記事を書いた作者が,現在,社会復帰している元連合赤軍兵士4人(前澤虎義,加藤倫教,植垣康博,雪野建作)にインタビューをして,そのころの思いや今の思いを聴いているという内容になっています。個人的には,あさま山荘事件40年ということで,出る出ると言われながら,まだ出ていない吉野雅邦の本が出ないかなぁと思っているのですが,それでも今,これまでこういう形で語ったことのなかった前澤虎義と雪野建作の言葉が読めるのであれば,十分資料的価値はあるのではないかと思い,角川書店が発行していることもあり,近所の大型書店でサクっと購入させてもらいましたです。
 第1章は前澤虎義のインタビューなんですが,彼だけ大学闘争から革命左派に流れておらず,高卒で工員をしていたところ,たまたまそこにいたのが,坂口弘だったという偶然。話は印旛沼事件から始まり,永田洋子を送る会で「永田」と呼ぶべきか「永田さん」と呼ぶべきかで迷った理由として,永田洋子の書いた「十六の墓標」等の発言で自己防衛に走り,裏切られたと感じつつ,総勢20名程度という小さな組織であった革命左派でいっしょに飯を食ってきた関係など,複雑な心境を語っています。例えば,上赤塚交番事件や真岡銃砲店襲撃事件のことは獄中の指導者(川島豪)を奪還するために銃が必要だっただけで,銃を奪って弾圧を受けて,初めて銃を奪うということは軍隊を作ることと理解したという話は,私からすれば,あまりにも行き当たりばったり,あまりにもいい加減な印象を受けざるを得ないのですが,そういう時代だったのかなぁとも思ってもみたりしました。前澤さんのお父さんの話も出るのですが,このお父さんも凄い人で,ガンが見つかったとき,手術をしたら持たないし,手術をしなくても5年程度は持つというのに,手術をすると言い張って,手術前日にやりたいことを全てやって,病院に戻り,手術後半月で亡くなったということなのですが,こういう潔い死に方をしたいなぁと本当,思いましたです。しかし,自ら革命運動に対する被告(被告人か?)と言ったり,連合赤軍事件について語ることは自分の義務であるなどと語る前澤さんの言葉の重みを感じたのは,「永田洋子の発言(本等)に対して,それ違いますよという人間がいないといけない」ということですね。永田洋子自体はもう亡くなってしまいましたが,出版された本はこれからも読み継がれていくわけで,その中でやはり実際にその現場にした人にしか「それ違いますよ」ということは言えないので,これからも前澤さんには語り続けてもらいたいなぁと思っています。最後に一番印象に残った発言は「大変なことをやろうとして,大変なことをやったんじゃない。」という言葉です。革命左派の兵士目線での連合赤軍事件の本質は,この一言に尽きるのではないかと思いました。
 第2章は加藤倫教のインタビューなんですが,加藤さんが書いた「連合赤軍少年A」と違う話が読めるのかなぁ?という不安も若干あったのですが,「連合赤軍少年A」とは違った切り口の話が多くて,非常に参考かつ楽しんで(というのもおかしいような気がしないでもないですが)読ませていただきました。統一公判から分離公判へ移行したときの心境として,統一公判が事件全体を内乱罪又は内乱未遂として審理させることが,総括で亡くなった人の名誉を回復させることになるという訳の分からない論理に違和感を感じ,本当にあったことを裁判の中で提示していくことが務めだと思い,吉野雅邦とともに分離公判を希望したと語っているのですが,そこに加藤さんの誠実さを感じました。社会復帰後の生活について,「どんな過去を背負っていようが,地域の人達は,地域の中での関係しか見ていない。極端な言い方をすると,そこでは,過去に何をしていようが,役割分担されて,今日やらないといけないことをちゃんとやっている限りはそれでいいという。世間から見ると極道であったとしても,地域にとっては利のある人で,そこでは悪さはしないし,面倒見もいいとなったら,その地域ではいい人なんですよ。」と語っているのですが,愛知の田舎で農業をやっているからこその実感なのかなぁと。これがなまじ誰もいない都会に出て,何をやったのかが周囲に知れたときは,もっと辛い仕打ちを受けたのではないかなぁと思いますです。永田洋子の責任については,状況的にいうと,永田がやったことの8割から9割は,永田がトップでなくても起こったのではないかと思う。あの路線で,あの空気の中であれば,誰がトップであったとしても避けられなかったのではないかと語る反面,遠山さっみゃ大槻さんに対する追求は永田の嫉妬のようなものがなかったとは言い切れない,あれは革命活動にかかわらず卑劣だったと思う,だから永田に対して問題にするのは,残りの2割なんです,それは許せないと述べており,組織としての論理があったとする反面,永田独自の判断が作用していたのではないかということが述べられています。う〜ん,そうなのか。でも,組織の論理を実行するために自分の考えに反する部分は飲み込んでしまうということは,日常の生活の中でもあるわけですし,それはそうなのかもなぁと思ってしまいましたです。
 第3章は植垣康博のインタビューなのですが,植垣さんは元連合赤軍兵士のコメンテーター役として,いろいろなところで発言をしていますし,自著「兵士たちの連合赤軍」も書いているので,どこまで新しい話が読めるのかなぁ?という不安が,加藤さんよりもさらによぎったのですが,そんな不安は取り越し苦労でした。確かに既に読んだことがある話もありましたが,出所後の話を中心に語っているので,改めて面白く読ませてもらいました。本当,植垣さんの語り口は読んでもらわないと分からないと思うので,ここではあまり書きませんが,ちょっと残念だったのはリアルタイムな植垣さんのインタビューではなく,結構,過去のロフトプラスワンでの椎野礼仁との対談の抜粋が多いのが少し残念かなぁという感じもしますが。できれば,もう少し多く,現在の植垣さんの言葉を聞きたかったなと思いましたです。
 第4章は雪野建作のインタビューなのですが,雪野さん自体は革命左派と赤軍派連合赤軍になる前に真岡銃砲店襲撃事件で逮捕されてしまったので,正確には元連合赤軍メンバーではないのですが,この本を読む限り,赤軍派も正規の同盟員ではない人がいたりしますし,たまたま連合赤軍になる前に逮捕されてしまっただけなので,まぁ良いのではないかと,雪野さんは「連合赤軍事件の全体像を残す会」の中心メンバーということなのですが,その活動について「埋もれさせてもいいとも思わないし,解明されていない部分もあるし,それは犠牲になった人達に対する義務だと思う。歴史に対する義務と考えています。それに,同じことを考えている仲間とそういう時間を持つというのは,全然苦痛ではない。周りに共感を持ってくれる人もいますから。歯を食いしばってするという義務感でもないんですよね。」と残す会で発言することを肯定し,また「我々一人が知っているのは,当時のことについては,ほんの一部でしかないんです。とにかく,あの事件に直接関わったのは4,50人はいて,その人達の話を残しておきたい。知りたいというのもあるし,残さないといけないという気持ちがある。」と残す会の意義を語っています。しかし,運動に参加した気持ちを「僕の心の中にも,同じように熱くなっていた部分はあった。やはり若かったんだと思う。熱烈な自己犠牲の観念に魅せられていたんだと思う。世の中の歴史を切り開く任務を背負っているという,それは裏返しの優越感でもあって。それは誰にでもできることではない,僕にしても,それをやり抜くんだという心理がありました。ただそれ以上を言うと,そういう時代だったというしかない。」と述べているのですが,非常にあの時代の空気を感じてしまいました。
 付録として山本直樹のインタビューが載っているですが,このインタビューは今後のレッドの展開について「銃撃戦のシーンまで,あと3年から5年が要するとみられる。」と締めくくってあるので,レッドではきっちりと山岳ベース事件を描くんだなぁと楽しみになると同時に,大体1年に単行本1冊のペースなので,早くて全9巻,遅ければ全11巻になるのね・・・と先の長い話なんですが,まぁ,そもそも月2回発行のイブニングで月1連載なので,それも仕方ないかなぁと思ってしまいましたです。
 解説は椎野礼仁が「少し長めの解説−というより同時代を,彼らほど突き詰められなかった,大多数の活動かの一人の極私的感想」として約20ページにわたって書いているのですが,これも単なる解説ではなく,1967年の10.28羽田や1968年の10.21国際反戦デーの話を挟みながら,「元活動家を名乗ることが恐かった。社会的な,あるいは左翼的な発言をしようとするとき,「では,なぜあなたは行動しないのか。」と問われるのが恐かった。一度逃げた人間は,沈黙するしかないと思っていた。」けれど「うじうじしている自分がバカらしくなった。形を変えた自己満足をしているだけだと思った。もう時効というものを,自分に許してもいいんじゃないか。そう思った。」と活動から離れ,その後の生活を送ることの後ろめたさを感じながら,40年近く経って「もういいんじゃないか。」と思えるような出来事だったんだなぁと重たい気持ちになってしまいましたです。
 しかし,連合赤軍兵士とはなっているものの,赤軍派は植垣さんだけで,後は革命左派というのもなんだかなぁと言う気がしないでもないのですが,山に入った赤軍派の皆さんで現在も生きている(と思われる人も含む。)は,植垣康博,坂東國男,青砥幹夫ですけど,坂東さんは国外逃亡中で生死不明ですし,青砥さんは基本的には一貫して沈黙を守っているので,やむを得ないのかなぁと思っていますです。しかし,最後に亡くなられた赤軍派の古参幹部でもあった山田孝が生きていたら,どんな言葉を今,紡いでいるのだろうという興味はあります。というか,坂東さんも生きているのであれば,ネット時代(w)ですし,どこからでも良いので何らかの声明を投降してくれたら良いなぁというか,読んでみたいなぁという気持ちですね。この本の中で「吉野雅邦の手記の原稿」という言葉が何度か出てきているので,ひょっとしたら年内に発行されるのか?と少し期待に胸を膨らませているのですが,どうなんでしょうかね。

 話は変わって,今日はブログをアップする前に,家族からもらったバレンタインデーのお返しを買いに行き,ついでに久しぶりにプレトレの写真を撮ってみたので,アップしておこうと思いますです。変わったのは基本的にはペダルだけなんですけど,トップチューブバックを付けた写真もいいなぁということで,買い物中の駐輪場にトップチューブバックを付けたままにしておくのは少し怖いので,トップチューブバックはバックパックに入れておいて(w),写真を撮るときだけ取り付けさせてもらいましたです。
 というわけで,最近,走りに行っているときのプレトレはこんな感じでございます。

 なんちゃってアヘッドがトップチューブバックを固定するベルクロで隠れているのも,なんかイイ感じです。

 前から見るとこういう感じです。苦労して取り付けたリフレクターがしっかりと付いていますです。

 ペダルのアップということで。ちょっとコンパクトになった感じですが,きちんと踏み込めます。

 後ろから見た感じです。外側にリフレクターが寄っているので,薄暗くなってからも少しは安全かなぁと思っています。

 トップチューブバックはこういう感じで付いています。なんかバイクのタンクバックの小型版みたいですね。

 トップチューブバックの中身はこういう感じです。一番上は鍵で,その下の赤いモノはニトリルゴムの作業用グローブです。鍵の下に見えるプラケースはパンク修理用のパッチです。

 トップチューブバックを横から見たところです。トップチューブとなんちゃってアヘッドの2か所で固定していますが,特に動くことはありません。横のメッシュはポケットになっています。夏になったら左右のポケットに塩飴を入れて,今年はミネラルウォーターで水分補給をしようかなぁと思っていますです。
 という感じになったプレトレで,最近は楽しく走りに行っていますので,明日も天気が良いといいなぁと思っていますです。