ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

A BOY/森田童子


 今日は午後から雨の予報でしたが,まさに雨が降っている・・・というか,まだ5月中旬だっていうのに梅雨入りってどういうことよ?よ思いつつ,まぁ天気が悪ければ家で大人しくしていてもそんなにストレスではないので,新型コロナウイルスとの関係では良いのではないかい?と思ってもみたり。
 さて,前回のブログをアップした後のフルカワの日常ですが,日曜日は天気も良かったので,パナモリで西方面海岸線コースへ走りに行きましたです。そういえば,今年はいつまで経っても暖かくならないので,いつもなら5月の連休には半袖ジャージにレーパンなのですが,今年は暖かくならないので,5月の連休は長袖ジャージにタイツでしたが,ようやく暖かくなり半袖ジャージにレーパンでいいんでないかい?ということで,久しぶりに半袖ジャージとレーパンで走りに行きましたです。いい天気でしたので,半袖ジャージにレーパンでも全く問題なしだったのですが,問題は向かい風が結構吹いているということでしたが,往路が向かい風なら復路は追い風を信じて,自分のペースで走らせてもらいましたです。天気は良かったのですが,風が強いせいか,新型コロナウイルスの関係なのか分かりませんが,ロードで走っている人が少し少ないかな?という感じでしたが,自動車は結構走っていましたので,多分,風が強いせいではないかと。というわけで向かい風にも負けず,いつものコンビニで補給&休憩をすることにさせてもらい,クリームパンとブラックコーヒーで補給させてもらいましたです。復路は追い風で楽しく走らせてもらいましたが,往路で少し足を使っているのに,追い風が気持ちよくて少し足を回してしまったのか,若干,足が売り切れ気味な感じになりましたが,持参していた塩分チャージタブレットを舐めながら,何とか自宅まで走らせてもらいましたです。
 月曜日からは仕事ですが,相変わらずバタバタしている間にあっという間に週末になってしまいました。今日はいつもどおりゆっくり起きて,朝ごはんを食べ,ワイシャツにアイロンをかけ,洗濯をしてからクリーニング屋と買い物に行き,昼ごはんを食べてからブログネタを打っています。明日の天気は予報ではくもり時々雨所により雷を伴うで,午後の降水確率は40%,最高気温は25度ということで,ちょっとパナモリで走りにいくのは難しい天気かな?という感じですが,天気がどうあれ,明日は午後3時からマンションの管理組合の用事が入っていてパナモリで走りに行くのはちょっと無理なので,そういう意味では始めからあきらめがつきやすい天気なのではないかい?などと思ってもみたり。

 フルカワの日常ネタはこの程度にして,今回も森田童子を紹介しますということで,1977年12月にリリースされた3枚目のアルバムの“A BOY”を紹介したいと思います。ジャッケットは芝生の上にうつ伏せで体を投げ出している森田童子とその向こうに日食(ジャケット全体のデザインからの私の想像ですが・・・)が見えているという摩訶不思議なジャケットになっています。
 1曲目の“蒼き夜は”という曲は,アコースティックギターのソロにアコースティックギターアルペジオが絡みつき,つぶやくように森田童子が唄い出し,そこにさらにストリングスが入ってくるのですが,前作でが刺々しい感じだったアコースティックギターの音が柔らかい感じになっていて,フワフワした森田童子の声に非常に合っています。そして,歌詞の方は1曲目から死を感じさせる内容になっています。しかし,いきなり「春はまぼろし」なんて森田童子に唄われると,そのまんま森田童子の世界に引きずり込まれてしまいました。
 2曲目の“君と淋しい風になる”という曲は,アコースティックギターのフィンガリングに,少し寂しい音色のフィドルの音がたまりません。そこに軽やかなピッキングに合わせて森田童子も軽やかに唄っています。間奏ではエレクトリックギターが少しロックな感じのソロを聴かせてくれ,おぉ!新たな展開などと思ってもみたり。でも,ベースもドラムも入っていないのは,やはりセンターは森田童子の唄ということなんだろうなぁと思いました。
 3曲目の“ふるえているネ”という曲は,そもそもタイトルの「ネ」の表記がすでに70年代なのですが,ピアノで静かに始まり,まさに震えるような歌声で唄う森田童子が素晴らしいです。「ぼくのやさしい手の中でこのまま君は死ねばいい。」だなんてよく考えれば(いや,考えなくても)恐ろしい歌詞を,美しく,しかもサラッと唄ってしまえるのは森田童子ならではでないかと思ってしまいました。死ねばいいのは「飛べないぼくのアゲハチョウ」と唄っていますが,これは単なる暗喩だと思います。しかし,この曲は森田童子が唄っているよりも,ピアノとフィドルが同じフレーズを繰り返している時間の方が圧倒的に長いのですが,ヴォーカルがあまり入っていないが故に,しかも音がループしているが故に,逆に想像力を掻き立てられる曲だなぁと思ってもみたり。
 4曲目の“ぼくを見かけませんでしたか”という曲は,アコースティックギター2本で始まり,アルペジオとソロの絡みがいきなり美しいです。その美しい音に,そのまんまぴったり寄り添う形で森田童子が唄い始めるのですが,「いつか来た道通り抜けて,僕は青春の終わりを彷徨う。」なんて歌詞は,これまで森田童子が唄っていた「自分達の世代の青春」への決別を唄っているのかなぁと思ってしまいましたが,決別してしまうと次のテーマはどうするのかなぁと少し心配してしまいました。
 5曲目の“セルロイドの少女”という曲は,速いテンポのフィンガーピッキングアコースティックギターが弾かれ,それに合わせるように少し速いテンポで言葉を吐き出しながら森田童子が唄い,それに絡みつくようなフィドルが悲しさをアップさせています。しかし,歌詞で唄われている「みどりちゃん」が“セルロイドの少女”だということは分かるのですが,結局,「みどりちゃん」のシチュエーションが何なのかよく分からないのですが,「家族合わせ」という言葉があるので,自分の感情を捨て,家族のために結婚した女の娘のことを唄っているのかな?と思ってもみたり。
 6曲目の“淋しい素描”という曲は,静かにギターのアルペジオで始まり,そこに森田童子がひっそりと唄い始め,そこにフィドルが悲しく鳴っているのですが,もう,ここまで来ると,森田童子の存在感がそのまま曲にパッケージされているという感じで,素晴らしいです。曲の後半からは森田童子は唄わず,また演奏だけになってしまうのですが,途中でぶつ切れして,猫の鳴き声のする雨が降っている町角の音に繋げられていますが,最後の「暗き部屋に雨の音」という歌詞に重ねているんだろうなぁと思いました。
 7曲目の“ぼくが君の思い出になってあげよう”という曲は,ブルースハープの音で静かに始まり,そこにアコースティックギターのリードとアルペジオが重なり,森田童子が唄い始めると,そのまんま森田童子の世界に引きずり込まれてしまいます。最後の「さびれたこの街で,もう若くないぼくは,君の思い出になってあげよう。」という歌詞は,森田童子自身が,自分はもう青春の真っ只中にはいないこということを4曲目と同様に宣言しているのだと思いました。
 8曲目の“G線上にひとり”という曲は,ピアノとアコースティックギターで静かに始まり,森田童子がこれまた静かに唄い始めるのですが,もうそれだけで孤独を感じてしまいます。最後に「夏草の上にねそべって,いま,ぼくは死にたいと思う。」なんて歌詞を森田童子がつぶやくように唄っているのですが,そのまんまスッとその言葉が何の違和感もなく入っているところが凄いなぁと思ってしまいました。
 ラストナンバーの“終曲のために 第3番「友への手紙」”という曲は,タイトルに組曲とあるだけあって,ストリングスの重厚な音から始まり,なかなか森田童子の唄が始まらないのですが,タイトルに「友への手紙」とあるとおり,ストリングスをバックに森田童子が手紙を読み上げるように語りかけるのですが,最後の「今,ぼくははるか,死の意味を飛ぶ。さよなら,ぼくを愛さなかったともだちへ。」なんて言葉は凄いなぁと思ってしまいました。というか,ストリングスと手紙を読み上げるだけの曲をラストナンバーに持ってくるとはさすが森田童子というか。しかし,こうやって聴くと,このアルバム,そしてこの曲は,森田童子が「唄うということの意味」にとって大きな一区切りになってしまったのではないかと思ってしまいました。
 歌詞カードに昭和54年(1979年)の森田童子の言葉として「ぼくが愛してしまったともだち。ぼくが愛してしまった小さな喫茶店。ぼくが愛してしまった街並みや曲がりくねった路地。もうすぐ終わる,ぼくが愛してしまった時代よ。」と書かれているのですが,学生運動世代(しかも,高校生全共闘世代)としての森田童子は,70年代が終わってしまうことをこういう感じで総括したんだなぁとシミジミ受け止めさせてもらいましたです(とはいえ,もう40年以上前の話なんですけどね。)。

 しかし,新型コロナウイルスの緊急事態宣言が拡がっている中,気になるのは補給&休憩ポイントとして利用させてもらっているコンビニのことで,昨年,非常事態宣言が出たときにはトイレもゴミ箱も使用禁止ということで,それなら補給ができないし,トイレに行けないなということで,ひたすら家の中で引きこもっていたのですが,さて,今回はどうなんだろうと調べてみると,昨年は,新型コロナウイルスのことがよく分からなかったから,従業員や顧客の不安もあるし使用禁止にしてしまえということになったことのようです。
 そうすると,新型コロナウイルスが基本的に飛沫感染であることが分かっている現在では,トイレやゴミ箱を使用禁止にすることはないのだろうと思いますが,ネットで更に調べてみると,とはいえ,最終的にはコンビニオーナーの個別の判断ということのようです。最近の感染状況から地方公共団体がどのような新型コロナウイルス対策を打ち出してくるのかよく分からないのですが,何が何でも外出自粛という感じにならなければパナモリで走りに行けるのかな?と思ったりもしますが,そすると,パナモリで走りに行った先で利用しているコンビニのトイレやゴミ箱が利用禁止になっていないことを祈るばかりでしょうかね。その前に梅雨入りしてしまったので,そもそもパナモリで入りに行けるような天気になるかどうかが問題なんですけどね。