ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

氷の世界/井上陽水


 今回で,とうとうこのブログが500回目の更新となりましたです。一番最初が2004年の2月ですから9年以上かかってやっと500回という感じもする反面,よく9年以上もこんなブログが続いているなぁと我ながら感心したりもしています。正直,始めた当初はネタがいつまで持つのやらという感じだったのですが,なんだかんだでネタにつきることもなく(とはいえ,ネタギレが1回,データが飛んでしまいました回が1回ありますが・・・)ここまで続けられてきたのは,私の触手にヒットする音源がなんだかんだであったこともそうですし,アマゾンやいぬん堂がなければネタに困っていた(特にいぬん堂には感謝でございます。)ので,本当,ネット通販があったからこそだと思いますが,一応自画自賛すると,飽きもせず,懲りもせず,毎週毎週,駄文だろうがなんだろうが気にすることなく,マイナー過ぎて誰も分からないかもしれない音源のことをシコシコと書き連ねていた私自身も結構素晴らしいのではないかと。継続は力なりって言葉は結構好きな言葉なんですが,長くやっていればそれだけでそれなりのスタイルになるんだなぁということが,このブログを続けてなんか非常に感じてしまいましたです。まぁ,読んでいる人が少ないこのブログですが,私の生存報告も兼ねているところもあるので,ネタが尽きるまではウダウダと書き続けていきたいと思いますので,よろしくお願いしますです。

 さて,500回目のネタは何にしようかと思ったのですが,私が持っている唯一の井上陽水のレコード(えぇ,当時はレコードではなく,カセットテープを買うしかなかったもんで・・・)であり,日本の名盤としてもよく取り上げられている“氷の世界”を取り上げたいと思いますです。私が今更取り上げなくても,多くの人がレビューを書いているのですが,やはり私も大好きなアルバムですので,書いておきたいなぁということで,ご容赦ください。このアルバムは1973年に発売され,日本で初めてミリオンセラーになったアルバムなんですけど,今聴くとフォークというよりもファンキーでカッコイイんですよね。しかもしっとりとした曲はしっとりとしていますし。
 1曲目の“あかずの踏切り”という曲は,“陽水ライブもどり道”にも収録されていますが,星勝が作曲し直し,やたらハードで,ファンキーでポップでパワフルになっていて,これを1曲目に持ってくるっていうことは,もはやフォークの時代ではないということを高らかに宣言しているような気がしないでもないです。というか,このアレンジだとギター1本では唄えそうにないですしね。
 そのままメドレーで2曲目の“はじまり”という曲に入るのですが,1曲目のテンションのまま陽水らしいメロディーなんですけど,パワーでグイグイ押し切る短い曲になっています。
 3曲目の“帰れない二人”という曲は,打って変わってアコースティックギターが中心の音で,そこにキーボードが入るシンプルなアレンジ(もちろんドラムとかも控えめに入っていますけどね。)で,忌野清志郎と共作なせいか,これまでの陽水とは少し違ったコード展開(というか,ところどころ清志郎らしいメロディーラインがあったりもします。)が叙情的な歌詞を更に盛り上げてくれています。この曲はコピーしてギターを引きながら唄ったよねぇとシミジミ思い出してしまいましたです。エンディングでピアノがメロディーを弾いているところのドラマティックなところも大好きですね。
 4曲目の“チエちゃん”という曲は,タイトルどおり可愛らしい曲で,イントロの陽水のハミングも素晴らしいです。古井戸も“さなえちゃん”とか非常に私的な感じの曲を書いていましたが,この曲もそういう感じかと言えば,どちらかというと想像の女の娘を唄っているようにしか私には思えず,そういう意味ではあまり私的な感じを受けないんですよねぇ。バンドアレンジなんですけどシャッフルのリズムが気持ち良くて,この曲もギター1本でよく唄わせていただきましたです。
 5曲目の“氷の世界”という曲はアルバムのタイトルチューンなんですが,イントロのギターのリフがロケンロールしていて非常にカッコヨイ曲で,その音に合わせるように陽水もヒンヤリとした感じで「窓の外ではリンゴ売り,声をからしてリンゴ売り」とシュールとしか思えない歌詞を唄っているのですが,これがまた非常にカッコヨイんですけど,はっきり言ってこの音が格好良すぎて,私にはギター1本で唄うのは断念したというか,あの頃の私にはこのファンキーなノリをどうやって再現することができなかったんですよね。でもアルバムチューンらしい名曲です。後半のホーンセクションに負けないブルースハープの音も,陽水のハイトーンスキャットも全てが素晴らしいです。
 6曲目の“白い一日”という曲は,うって変わってギター中心のシンプルなアレンジなんですが,小椋佳の詩に陽水が曲を付けているのですが,やはり詩の感じが陽水ではなく,小椋佳だなぁと思ったりもするのですが,5曲目との落差を考えると,これくらいガラッと変えてしまった方がアルバムの中に緩急があってよいかと。本当に,ハッとするくらいフォーキーな曲です。
 7曲目の“自己嫌悪”という曲は,いわゆる差別用語が使われているとして,長年アルバムから削除されていたらしいのですが,もちろん私が持っているレコードには収録されています。この曲はギターのシンプルなカッティングを中心にしたアレンジなんですが,タイトルどおりのどうしようもないやるせなさを表現していて,私もギター1本でよく唄っていましたです。「めくらの男は静かに見てる。自分の似顔絵描いてもらって。似てると一言つぶやいている。あなたの目と目よ涙でにじめ。」という1番の歌詞が引っかかったんだと思いますが,この素晴らしい歌詞のどこに差別意識があるとか,差別意識を助長するとか言えるんだ。本当,言葉狩りはいい加減にしていただきたいですよねぇ。しかし,このアルバムが全曲復活したのであれば,同様の理由で復活されていない吉田拓郎の“今はまだ人生を語らず”もぜひ復活させていただきたいところですが,ポリドール系の陽水に比べてソニー系なのでちょっと無理かなぁと思っていますが,拓郎が生きている間に復刻して,“ペニーレインでバーボンを”を聴きたいものです。
 8曲目(レコードだと,ここからB面になります。)の“心もよう”という曲は,言わずと知れた初期陽水の大ヒット曲なんですが,アコースティックギターの音を中心にして,弾き語りをするにしても取っつきやすい音にしていながら,バックの音はシンプルなんだけど,メリハリのある演奏で陽水の唄を盛り上げているところもカッコヨイです。歌詞だけ読むと,非常に叙情的な感じがするのですが,今こうやって聴いてみると叙情的というより,詩の主人公の女の娘をいったん突き放した視点で描いているなぁという感じを非常に受けたりもして,なんか非常に複雑な歌詞だなぁと思ってしまいましたです。
 9曲目の“待ちぼうけ”という曲も,忌野清志郎との共作なんですが,非常にポップでロケンロールな曲になっているんですが,この曲もギター1本でますです。しかし,歌詞にRCサクセションのアルバムタイトルである「楽しい夕べに」なんて入っていることに今更ながら気づいてしまいましたです。陽水が書いたのか,清志郎が書いたのか知りませんが,やるなぁという感じでございます。
 10曲目の“桜三月散歩道”という曲は,2本のギターで始まるシンプルな曲なんですが,川沿いの散歩道を歩きながら聴きたい曲なんですが,陽水の語りも入っており,少しモゴモゴとした口調が陽水らしいなぁと思ってしまいましたです。しかし,この曲では随所でアコースティックギターがリフを弾きまくっているのですが,今のようにエレアコでライン録りではない,マイク録りの空気感のあるギターの音で,これもカッコイイなぁと思ってしまいましたです。
 11曲目の“Fun”という曲は,この曲だけ英語タイトルなんですが,その後の陽水の「何か言っているようで,よく聴くと何も言っていない歌詞」の出発点のような歌詞になっているのですが,サラっと聴けるのですが,なんとなく引っかかってしまうのは,きっと無意識に何を言っているんだろうかと一所懸命探っているからではないかと。探ってみたところで大したことは言っていないんですけど,ゆったりとしたシャッフルのリズムも気持ち良いで,それでOKです。
 12曲目の“小春おばさん”という曲は,イントロの泣きのエレクトリックギターがシミジミとした感じで大好きなんですが,歌詞も抽象的な絵を描きながら,最後の「小春おばさんに会いに行くよ」というところに持って行くのですが,詩の主人公と小春おばさんがどういう関係なのか分からないので,多分,無意識に関係性を構築しようとしているのか,妙に引っかかってしまう曲なんですよね。陽水の年上を相手にした曲としては“人生が二度あれば”という曲もあるのですが,両親との関係なので理解もしやすいのですが,この曲では小春おばさんが何者なのかが最後まで明らかにされることがなく終わってしまうので,非常に不可思議な気持ちというか,不安定な余韻を残して終わります。
 ラストナンバーの“おやすみ”という曲は,イントロのピアノのソロから素晴らしく,ピアノの澄んだ音に陽水の声が重なると,ゾクっとするくらいカッコヨイです。「もう全て終わったのに,みんなみんな終わったのに」と陽水に唄われると,あぁ,このアルバムのラストナンバーなんだなぁという気に本当になってしまうところが素晴らしいです。というか,2曲目(メドレーなので1曲目と言っても間違いではありませんが。)に“はじまり”という曲を持ってきて,ラストナンバーに”おやすみ”と持ってこられると,アルバム全体で1曲というか,そういうコンセプチュアルな作りも良いですねぇ。というか,この頃のフォーク系のアルバムって,これまで作った曲を入るだけ入れてみましたって感じのものが多いので,こういうこと自体が革新的だったのではないかと今では思えたりもします。
 しかし,このアルバムで凄いのは,アルバムジャケットはモノクロの写真でステージの楽屋で1人ギター弾いている陽水の写真に水色で「氷の世界」,灰色で「井上陽水」と入っているのですが,このジャケットから中の音なんて想像できませんよ。しかも裏ジャケットはやはりモノクロでハーモニカホルダーを付けてどこを見ているのか分からないけど,唄っている感じの陽水のアップなんですもの。多分,視聴もせずにこのアルバムを買った人は,フォーキーな音だろうと思って買ったのだろうと思うのですが,1曲目から良い意味で裏切られてしまいますもんねぇ(ちなみに中ジャケット(古いレコードなので,二つ折りのジャケットなんですよね。)はロンドンレコーディングなんですが,あまりそれを感じさせないカラー写真が7枚使われているのですが,小さな1枚なんですけど,はにかんだ陽水の笑顔が可愛いなぁと思ってしまいましたです(サングラスを外した陽水の写真って,しかもはにかんだ笑顔の写真なんて,あまりありませんしね。)。

 ところで,前回の三連休は台風の影響で,雨はそれほどでもなかったのですが風がひどくて,連休最終日にはなんとかなるかなぁと思っていたのですが,午前中が終わっても窓の外の景色は,どうみても風が止んでいる様子はなかったのですが,天気は良いわけで,もう『我慢ができないので,走りに行くしかない!というわけで,嫁さんに「午後から走りに行くから。」というと,嫁さん曰く「新聞記事にならないようにね。」とのことでございましたです。まぁ,風は強いけれどなんとかなるでしょうというわけでプレトレで出発したものの,う〜ん,やはり風が強いぜと思いつつ,それでもまぁ西方面海岸コースで80キロ走らせてもらったので,スッキリしましたです。しかし,ヒヤッとしたのは,大きな橋を渡るとき,勾配が結構きつい橋なので,歩道をテレテレ走っていたのですが,下りの橋の継ぎ目でプレトレが跳ねたとき,横風で20センチぐらい飛ばされてしまったんですね。これが車道だったら・・・と思うと非常に嫌な気持ちになりましたが,車道だと逆にこんなに跳ねるような道もないかと思いつつ,まぁ周囲の状況を良く確認して走るが吉よねということですよね。で,1つ残念だったのがトップチューブバッグのサイドのネットに塩分補給飴を入れているのですが,ネットの上部のゴム部分が伸びていたせいで,塩分補給飴を1つ車道に落としてしまったことでしょうか。家に帰ってから糸と針を手に,ネット上部のゴム部分をカットして縫い直したので,当面は大丈夫だと思うんですけどね。
 明日は雨も降らないし,嫁さんも好きにしてよいよということなので,23日は秋のお彼岸で墓参りに行くこともあるし,少しは暑さも落ち着いたようなので,午前中から走りに行って,久しぶりに100キロ超えをしたいなぁと思っていますです。現時点での降水確率は一番高いものでも20パーセントなので,本当,頼むぜ!という気持ちでございます。