ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

総括せよ!さらば革命的世代/産経新聞取材班


 今年もあと5日となってしまいましたです。自分の年賀状(転居案内も含む。)は天皇誕生日の日にサクっと書いたので,昨日は仕事だったので,今日はサクっとブログを書いたら天気もいいし,2時間ぐらい走りに行こうかなぁなどと思っていると,子供と嫁さんから年賀状印刷のオファーが。う〜ん,こうなればブログを書きながらシコシコを印刷作業をするかな。というわけで,ただいまブログネタを書きながら,横でHPのプリンターがフル稼働中でございます。しかし,カラーインクの残量がもうないよサインになっているのですが,まだまだカラーインクが頑張ってくれていますです。まぁ予備のインクは買ってあるので無くなればそれを使うだけなんですけど,どこまでインクが持つのか楽しみでございますです。
 しかし,ネタがないないと言いつつ,なんやかんやでネタは尽きることなく,アマゾンでまたカートに入れるボタンをポチっと押して,年末年始に見たいDVDと本を買ってしまいましたです。実は昨日の段階で近所のコンビニには届いているのですが,取りに行ってしまうと,こらえ性がないので見てしまいそうなので仕事が休みに入る29日まではコンビニで預かってもらっておきましょうかね。で,年末年始にまったりと楽しみ(今年は自宅で年末年始を過ごすので。)たいと思いますです。

 で,ここのところ本のレビューを書くことがなかったのですが,今回はたまたまリアル本屋で面白そうな(というか私の好きそうな)本を見つけたので,つい買ってしまいましたので,その本について書きたいと思いますです。というか,私的にはどちらかと言えば右よりな産経新聞全共闘について取り上げるのは若干不思議な気もしたのですが,アカイ,アカイ,アサヒガアカイの朝日新聞じゃぁ同族嫌悪というか,取り上げようがないのかなぁなんて思ってしまいました。
 この本は基本的には匿名も含め,当時の全共闘の闘志の方々や全共闘に関わらざるを得なかった人たちへの取材を中心として構成されています。
 序章として重信房子へのインタビューで始まるのですが,重信房子の「今は,戦略さえラジカルであれば,戦術に寛容であっても良いと思っています。」という言葉はあまりにも重すぎて,正直いきなり辛くなってしまいましたね。実際,革命の名の下に日本赤軍が行ってきたことを考えると,もっと早く気づき,軌道修正すべきではなかったのではないかと思いましたです。でも,言葉の端々にやりきった感があるので,果たして生きて刑務所から出てくることができるのか分かりませんが,出てきたときにどういう活動や発言をするのか非常に楽しみにしています。
 第1章は「隣の全共闘」と題して,当時,全共闘で活動していた人への取材で,全共闘とは何だったのか?ということをあぶり出そうと試みています。しかし,実名で出ている人の発言はやはり重たいなぁと思ってしまいました。特に日大全共闘議長であった秋田明大の「何かしたいとは思うけど,何がしたいか見つからない。でも最近はそれでもいいかもと思っとる。嫁がいて,息子がいて・・・。最期に「わしは何もできんかったのう」と死んでいければ,それはそれでいい人生かもしれない。」という言葉には,闘争と挫折を経験し,その後,ドロップアウトしつつささやかな暮らしを手に入れた男の言葉としてはあまりにも重たく,そして同意できます。また,赤軍派議長として長期間の懲役刑を受けた塩見孝也は「要するに,僕のこれまでの生涯は,民衆に奉仕するというより,民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで,自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで,よく生きてこられたなとも思う。だからこそ,自己労働をいくばくかでもやり,本物の革命家になりたいと思うわけです。」と語り,自分の立ち位置をきちんと見据えて,それでもなお,革命を目指すというのであれば,それはそれでこの人の生き方なんだろうなと思ってしまいましたです。
 第2章は「バリケードの外から」と題して,まさにバリケードの外から全共闘と関わった人たちへの取材で構成されています。最初に機動隊員の話があるのですが,バリケードの中で図書館の本を燃やして暖を取っていたことに対して「われわれだって社会に対して不満がなかったわけではない。ただ,社会には勉強したくてもできないやつだってたくさんいたんや。寒さぐらい我慢できない連中が,何が闘争だ,何が革命だ。甘ったれるのもいいかげんにしろと怒鳴りつけたかった。」と話しているのですが,大学進学率が15パーセントであった当時,要するに大学へ行けた人は裕福な家庭であり,残り85パーセントは大学へ進学したくても家庭的な問題で働かざるを得なかったわけで,頭に来るのももっともだと思いますです。また,大学教授の話で,学生運動が沈静化した数年後,電車の中で運動のリーダーだった学生の1人と会ったとき,あっけらかんと「先生,お久しぶりです。今は金融機関に勤めてます。あのころは愉快でしたね。」と言われ,「私は不愉快だったよ。」と応じるしかなかったというエピソードが書かれているのですが,これを読んだとき,あれだけの物的な破壊行為を行っておいて,その責任を取ることすらなく,のうのうと就職し,あげくの果てに「愉快でしたね。」だなんてふざけるんじゃないよって感じですよね。こんな連中ばかりなのであれば,この世代は軽蔑の対象にしかならないなぁと思ってしまいましたです。
 第3章に入る前に読者の投稿が掲載されていて,そのタイトルは「下の世代に嫌われる全共闘世代」と題され,かなり辛口の批判がなされています。「主義は立派だが,結果を出すための具体的な行動はしていない」,「今,彼らが責任ある立場におさまっても,彼らから社会はこうあるべきという理念が伝わってこない。」,「いまだにあの運動に何か歴史的意味があったような,陶酔的な錯覚が覚めていないのならあきれたことです。40年たって多少なりとも成長したのであれば,どうか自分たちの無力を認め,その下の世代にバトンを渡してください。」など,かなり手厳しい内容なっていますが,確かにこの世代の人ってなんかよく分からない人が多いなぁと自分の周りを見回して思ってしまいましたです。
 第3章は「全共闘を解剖する」と題して,インタビューを交えながら全共闘について社会背景も含め解説していますが,中でも興味深かったのが全共闘の同窓会の話で,参加者が「人生の終盤にさしかかり,HPを見た人から「お前がしたことは無駄じゃない」と言ってもらいたいという甘えもある。」と語っているのですが,それ何?って感じですよね。ここまできて自己弁護ですか?はっきり言って,無駄だったんですよ。きちんと無駄であったことを総括しなければ次へ進めないのではないですか?と思ってしまいましたです。笑ってしまったのは,参加者から「せめて,今の政治状況を見過ごさず,おかしいことはおかしいと言うべきだ。」,「黙して語らずではなく行動することで団塊世代の責任を果たしたい。」との意見も出たが,具体的な提案には至らなかったとあり,まさに,読者の声にあったとおりの現状であり,笑うしかないなぁと思ってしまいましたです。
 最終章の第4章は「キャンパスの過去と現在を結ぶ点と線」と題して,現在の大学を取材しながら全共闘世代を総括しているのですが,全共闘以降の40年間の蓄積を踏まえて,当時を客観的に振り返ることができる人と,40年前の理屈でしか語れない人の2つを挙げ,前者については肯定的(そりゃあそうでしょうね。)後者については,若い頃オレは不良だったという話と大差ない,わずか数年の全共闘経験より,本来はその後の40年間の人生の方が長く,思いものだったはずである,とあるのですが,まさにそのとおりだと思いましたです。逆にその後の40年間をきちんと自分のやったことと折り合いを付けていないで,こういうことになるのではないかと思うんですけどね。産経新聞もいいこと言うじゃないのと思ってしまいましたです。
 あとは解説インタビューとして山本直樹(さすがにREDを描いているだけはあるなぁ。),年表,新左翼系統概念図をへてあとがきとなっています。
 個人的な感想としては,連合赤軍ものにしても全学連ものにしても,ある程度,当時の状況を理解していないと何が書いてあるのかよく分からないため,手が出ないと思うのですが,この本は新聞紙上で連載されていただけあって,そういうバックボーンがなくてもさらっと楽しく読めるのではないかと思います。また,植垣康博のインタビューも載っていますので,全共闘だけでなく,連合赤軍の関係もある程度理解できるような内容になっています。そういう意味では,こういう世界への入門書としては非常に良いのではないかなと思いましたです。

 うぉ〜,今回のブログも書き終わったし,年賀状の印刷も終わったし,しかもプリンターのインクもまだあるし,どういうことなのよHPという訳で,まだ天気が非常に良いので,一息入れたら走りに行ってきましょうかね。インクを買いに行かなくてもいいので,上の服をヒートテックに着替えて,2時間ほど走ってくることにしましょうかね。で,帰ったらワイシャツにアイロンをかけないとね。
 次回は年内最後なので恒例のこの1年間を振り返ってという奴を書くことにしたいと思っています。で,話は変わりますが,私が使っている年賀状用のソフトはWin98SEのころから使っているのですが,VISTAでもまだ使えるんですよね。なんでだろう,不思議だなぁと思いつつ,まぁ使えるんだからいいかと思っています。さすがに印刷枚数はあまり言うことをきかないようなので,用紙の枚数で調整しないと行けないんですけどね(そのせいで嫁さんの年賀状をちょっと多めに印刷してしまったのですが,まぁ,家族用なので,送っていないところから届けばそれに使えばよいということで。)。