ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

新左翼とは何だったのか/荒岱介


 前回,ブログを書き終わった後に壊れてしまった小型扇風機を固定するパーツを探しにホムセンへ行くと書きましたが,ブログをアップした後,プレトレに乗って近所のホムセンへ行き,何かいいパーツはないかなぁと探していると,あるではありませんか,金物部材に丁度良いパーツが。5センチくらいの長さで黒く塗られた鉄板に穴が開いている奴が。値段は?と思い,値札を見てみると149円ではありませんか。149円で治るならこれ幸いということで,イソイソとホムセンでお買い上げ〜ということで,家に帰ってから,小型扇風機をパソコン机に固定していた大きな洗濯ばさみのような奴を外すと,パキっという音とともにあっさりと大きな洗濯ばさみの亀裂が入っていた部分があっさりと真っ二つになってしまいましたです。おぉ〜これは早めに交換作業に着手しておいて良かったぜ,というか,平日に壊れてもホムセンに買いに行くことが基本的にできない(というか間に合わない。職場の近くにはホムセンがありそうにないですしね。)ので,次の休日まで床に扇風機を転がしておくのも非常に邪魔ですしね。で,予め目星を付けておいた,パソコン机の天板を留めるネジを外し,これに買ってきた鉄板を通してネジを締め直し,扇風機の方は大きな洗濯ばさみが付いていた部分を取り外すとナットがあったので,このナットを利用して鉄板に固定してやると,無事,小型扇風機がパソコン机に固定できましたです。149円で復旧作業ができた上に今回,鉄板にして良かったのは,結構,洗濯ばさみの大きいような奴が本当に大きかったので,パソコン机の横を回り込んで,パソコン関係の配線をやり直すとき,ハッキリ言って邪魔!だったのですが,それがなくなりスッキリしたので,パソコン関係の配線をやり直すためにパソコン机の横に入り込むのが楽になりましたです。で,もう一つ,今,扇風機が付いている反対側の方には,ショルダーバッグなんかを針金のハンガーを伸ばしてU字フックのようにしているのですが,やはりいくらなんでも貧乏っぽいよなぁと思いつつも,変わるになるようなものもないし・・・というわけでそのままにしていたのですが,今回使用した鉄板のもう少し長い奴を買って,力業でU字型に曲げてやれば,今回と同じようにパソコン机の鉄板を留めているネジで固定できるなぁと。うんうん,気が向いたらやらせてもらいましょうかねと思いつつ,今月は大腸内視鏡検査の関係で必要以上に支出があったので,今すぐにで良いものは次の給料日以降にしようと思っていますが,まぁ,そんなに必要性が高いものでもないので,そのうちにということで。

 で,今回は連赤ものではないのですが,昨年亡くなったブント(その後アクティオに組織変更)の元代表荒岱介の“新左翼とは何だったのか”という本を紹介したいと思いますです。荒岱介は,連赤関係の本では赤軍派塩見孝也オルグされてこの世界に入ったということなのですが,運良く,赤軍派が結成される直前に東大安田講堂事件関係で逮捕されたため,赤軍関係の各種事件に関与することがなかったため,比較的短い期間で刑期を終え,ブントのメンバーとして活動し,最終的にはブントを解散させ,アクティオという環境系の団体へと移行していったのですが,70年代の第二次ブントからずっぽりとこの世界に足を突っ込んでいた人なので,分かりやすい言葉を選びながらも,その場にいたからこそのリアリティーを感じさせる本になっています。
 この本は「はじめに」を除き,第6章からなっているのですが,新左翼関係の知識がない人は最初から読んだ方が分かりやすいですし,新左翼関係の知識がある程度ある方はどこから読んでも楽しめる(かどうかは,それぞれだと思いますけど・・・)本になっています。
 まず,「はじめに」では,筆者がこの本を書こうと思った目的が書かれていますが,まぁそこはサラッと読んでもらって,むしろここでは,新左翼の系統図(概念図)が5ページにわたって掲載されていますので,まずはこの系統図を見て,各諸派の関係を理解してから読むことをオススメします。
 第1章は「これが新左翼のルーツだ」と題して,ソ連の話から日本の共産党の話へと移っていくのですが,この章の最後に「無謬の党というのは宗教団体みたいなものなのです。」と冷めた視点でサラッと書かれた言葉に,筆者の新・旧左翼に対するあきらめというか,そんな感じを受けてしまいましたです。絶対に間違うことのないイデオロギーなんてないのに,それを盲信してしまうが故に,後の多くの悲劇が起こってしまうというのは,本当,左翼関係の運動の悲しさだなぁと個人的には思っているのですが。
 第2章は「55年体制下での砂川闘争と労働運動・学生運動」と題して,砂川闘争を契機に共産党から中核派革マル派,更に第一次ブントが生まれてくる過程が説明されているのですが,結局,理論的指導者が自分の説が一番正しいということで,他者と相容れることができず,各種派閥に分裂してしまうところは,まさに宗教団体のようなもんだなぁと思ってしまいましたです。で,60年代安保闘争の話を描きながら,60年代全学連の様子を描いているのですが,60年代に大学に行ける人なんて本当にエリートだったんだなぁと思える記載があちこちにあって,苦笑してしまいましたです。例えば,樺美智子の文章として「日本の労働者階級と人民にこそ,強く訴えるでしょう。」とあるのですが,大学生が「労働者階級と人民」って,あんたいったい何様なのよ?と今ならば思えるのでしょうが,中卒で就職が当たり前だった時代の大学生なんて,本当にエリートだったんでしょうねぇ,だからこそ,こういう言葉がスラッと出てくるんだろうと思いますです。まぁ,実際,まだまだ貧しい時代だったから,労働運動にしてもあれだけ盛り上がったんだろうなぁと思いますしね。そして第一次ブントが解散してしまうところまで描き,筆者の新左翼が衰退してしまった理由が述べられるのですが,これもやはり実際に奥の奥まで関わったからこそ,出てくる言葉だと思うのですが,引用させていただきます。「世界革命の夢を語り続けるには,1つのフェティシズムに陥る以外にありません。現実の矛盾は解決できなかったにもかかわらず,その成就が矛盾を解決すると錯認する呪物崇拝のような革命のフェティシズムです。」う〜ん,別に新左翼に限定されたことではないんでしょうけど,行き着くとこまで行ってしまった新左翼運動だからこそ,非常に染みる言葉だなぁと思ってしまいましたです。
 第3章は「新左翼運動が全面開花する60年代高揚期」と題して,ベ平連,そして三派系全学連,そして第二次ブントの結成と筆者が実際に飛び込んだ時代の話が実体験を交えて描かれています。10・8羽田闘争,三里塚闘争,王子野戦病院闘争,日大闘争と学生運動が先鋭化していく様が描かれています。日大闘争の落書きの「漠たる情熱,徒労の情熱,かまうもんか。」という言葉が紹介されているのですが,当時の学生の心境がよく伝わってくる言葉だなぁと思ってしまいました。そして,10・21国際反戦デー,安田講堂占拠,4・28沖縄デーとますます先鋭化していく行動が描かれ,その中で赤軍派が誕生し,衰退していく様が短く綴られていますが,この辺は筆者は身柄を拘束されていた時期なので,そんなものかなぁと読ませていただきましたです。まあ,赤軍関係はこれまでに詳細に描いた本が沢山ありますしね。しかし,この章でも,素晴らしい総括をしているので,引用させていただきます。「新左翼はその結果,既成の運動とは距離を持つ別次元の闘い,武装闘争と内ゲバにますますはまり込んでいってしまったのです。ここにおいて新左翼は大衆的支持を失い,次第に運動的基盤を喪失していきます。孤立化がカルト化を促進し,精鋭化する一方で,自滅への道を歩むようになってしまうのです。」う〜ん,「孤立化がカルト化を促進し,精鋭化する。」というのは,本当にそのとおりだなぁと思ってしまいましたです。
 第4章は「新左翼自治会・労働組合運動」と題して,まずはなぜ新左翼諸派学生自治会へ介入したがっていたのかを説明し,結局は金ということなんですけど,ここで笑ってしまったのは,明治大学が2002年に「新入生・ご父母の皆さんへ」と題した書面に学生が納める自治会費の総額は,年間6000万円で,そのおよそ半分が革労協等,政治セクトの手に渡り,政治闘争の資金源になっていたと考えられますと書かれており,大学側も甘い汁を吸われまくっていることを十分分かっていたことが読み取れます。そして,サークルに学生会館のサークルボックスを与える際に,新入生等を政治運動へ動員させるということも行われていたようで,本当,こういうことをやっているから見向きもされなくなるんだろうなぁと思ってしまいましたです。そして学生から公務員へ流れた連中の組合運動へと話は変わり,スト権ストの話では「親方日の丸の連中が,迷惑なことを勝手にやってくれる。」としごく当然の感情を民間の方に持たれてしまったという記述では,そうだろうなぁと思ってしまいましたです。しかし,この章では唯一,新左翼運動を評価しており,それは管理職ユニオンのことなんですが,筆者をして「損左翼労働運動が生み出していった正の遺産」と言わしめていますし,実際,非常に真っ当な主張を真っ当に行っているようなので,ひいき目に見ても正の遺産なんだろうと思いますです。
 第5章は「新左翼グローバリズム」と題して,赤軍派よど号ハイジャック,そして日本赤軍の活躍(これは日本赤軍のやったことを肯定しているわけではありません。)が描かれ,そして次の言葉で総括しているのですがが,この言葉も当事者性が感じられて素晴らしいので引用させていただきます。「下獄とか死とか,彼らが高い代償を払ったことに見合う者を,彼ら彼女らが獲得したとおもっているのかどうかだけが,聞きたいことになります。人間とは何か,どこから来て,どこへ行くのか。この哲学的命題への回答はありません。ただいえることは,主義は生きる手段であり,生活には勝てないことの見本が日本赤軍の見果てぬ夢がたどり着いた先である,ということだけでしょう。」だなんて,クールに言い放っているのですが,やはり関係者を実際に知っているだけに重みがあるなぁと思ってしまいましたです。この章の後半では武装闘争についても描かれているのですが,ここでも「自分たちの人生を左右する大きな決断を,新左翼の組織と活動家たちは,きわめてスピィーディーに,あるいは安易に行い,昇り詰めていったのです。熱っぽい勢いで,まるでゲームソフトでゲームでもするかのように,それは行われていきました。」とまとめていますが,そういう時代だったという時代のせいにはしたくないなぁと思ってしまいましたです。そして,火炎瓶から爆弾への移行,そして東アジア反日武装戦線中核派のゲリラ戦といきつくところまでいってしまったことが描かれています。そして,総括として「本来,社会運動というものが,時代の最先端に触れるきわめて先取的行為である以上,フレキシブルな身のこなしと現状を鋭く切開する理論的な明晰さがあってしかるべきということは,筆者でならずとも思うことでしょう。そうした中で,日本の新左翼運動が,おびただしい武装闘争や爆弾闘争において一般人をも巻き込んだ犠牲を強いてきたにもかかわらず,ほとんど旧態依然とした思考方法から脱却できないできたのは残念なことです。」とまとめられているのですが,ここは本当に不思議なんですけど,大した成功体験がないのに,どうしてここまで信じ,考えを変えることができなかった(しなかった)のかは本当に私にとっては不思議なんですけどね。やはり,思考も行動もフレキシブルであるべきではないかと思うんですけどね。
 最終章は「なぜ内ゲバになったのか」と題して,主に中核派革マル派内ゲバについて描かれていますが,この辺は私の得意分野ではないですし,あまり好きなテーマではないので,読むのは面白いのですが,コメントはあえて省略させてもらおうかと。しかし,最後に私の大好きな安田講堂の落書きが掲載されていたので,引用させてもらおうと思います。「連帯を求めて孤立を恐れず,力及ばすして倒れることを辞さないが,力を尽くさずして挫けることを拒否する。」う〜ん,いつ読んでも,青さ全開の台詞が胸に突き刺さりますね。しかし,この気持ちを持ち続けて活動をしていれば,新左翼運動ももっと違った展開があったのではないかと思うんですけどね。まぁ,結果論なので,何とも言えないのですが,
 最後のあとがきでは,この本を書いた気持ちとして,成田空港管制塔に突入した活動家の「誰かがやらなければならなかった,だから私がやった。」という言葉から始まり,どのセクトにも偏らず,一般読者に読んで理解してもらえる内容にするために非常に苦労したということが書かれているのですが,本当,大変な作業だったろうと思います。正直,自分が関与していたセクトを中心に書けば簡単なんでしょうけど,そうすると,自分が関与していたセクトを正当化してしまうことになりますし,過去のことはさておいて,できるだけフラットなスタンスで書こうという意識が非常に伝わってきましたです。
 というわけで,めずらしく内容を引用しつつ,書かせてもらいましたが,新左翼とは何?という方が読むには,本当分かりやすい本となっていますし,だいたいこういう本は彩流社とかなかなか手に入りにくい出版社なんですが,この本は幻冬舎新書として出されていますので,本屋で探せば見つかるんじゃないかなぁ(実際,私も珍しくアマゾンではなく,近所のショッピングセンターに入っている大型書店で見つけて買いましたし。)と思いますので,興味のある方は本屋さんの新書コーナーで探してみて,パラパラっと読んで,じっくり読みたいと思えば740円ですので,買ってもそんなに負担な値段でもないですしね(あんまり高い本だと失敗感が半端ないときがありますからねぇ。)。

 話は変わって,卓上扇風機が壊れたと書きましたが,実はヘッドフォンのイヤーパッドも経年劣化でダメになってしまいましたです。私が愛用しているのはaudio-technikaのATH-CL350Rという赤外線方式のワイヤレスヘッドフォンなんですが,ワイヤレスヘッドフォンをいったん使うと,その便利さに手放せなくなってしまうので(ただし,音質的には有線の奴にはやはり及びませんので,音質にこだわりがある人には不満があると思いますけど。),イヤーパッド以外は問題はないものの,新しいのを探してみるかなぁと思って,アマゾンとかで調べてみたのですが,最近はブルートゥースが主流で,無線や赤外線方式は今ひとつといった感じだったのと,ブルートゥースの発信器側がバッテリー式だったりするもの使い勝手としてはどうかなぁ(ATH-CL350Rの発信器は家庭用電源方式なので,電池のことを気にしなくて良いんですよねぇ。)というわけで,調べてみるとaudio-technikaのホームページから買えるということで,イヤーパッド以外にもスポンジが使われているヘッドウィングもついでに買わせていただきましたです。代金支払方法が代引きと振込しかないので,便利悪いなぁと思いつつ,まぁメーカーだしそんなもんかなぁと思いつつ,購入ボタンをポチっとさせてもらったのですが,アマゾンとかだと(いぬん堂でもそうですけど。)速攻で送られてくる購入確認メールが届かない。う〜ん,これって発注がきちんとできているのかなぁと思いつつ,まあ,ジョルナダで職場でメールチェックして,支払いメールが届けば,仕事帰りに振り込めばいいかぁと思っていると,月曜日にポチっとした結果の自動配信メールが届いたのは翌火曜日,振込先指定メールが届いたのが更に翌水曜日。で,水曜日の夕方(というか,夜ですけど。)に振り込んで,入金確認と発送メールが届いたのが金曜日と,アマゾンで買っていたらとっくに届いている時間が発送メールまでかかってしまいましたです。まぁ,クロネコメール便で送ったとのことなので,土曜日が遅くとも日曜日には届くとは思うんですけどね。しかし,久しぶりに振込をして思ったのは,振込手数料って本当にもったいないなぁと思ってしまいましたね。総額2800円の買い物をして,振込手数料が525円ですからねぇ。届くのが遅くなる上に無駄に金がかかるのはなんだかなぁと。,audio-technikaも一応大手メーカーなんだから,クレジット決済ぐらいあってもいいんでないかい?と思ってしまいましたね。クレジット決済なら,1,2日は期間が短縮できると思うし,そもそも振込手数料なんかかからないので。まぁ,在庫チェックの上,支払いメールを送っているのだと思うのですが,ホームページでは購入可能となっているんだから,そこはいいんでないかいと思ったりもするんですけどね。でもまぁ,これで少なくとも3年くらいはヘッドフォンが使えるのでうれしいのですが,次はブルートゥースへの移行も考えないといけないかなぁと思っていますので,まぁ,主に送信機を物色しつつ,いろいろ考えていこうかなぁと思っていますです。