ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

続あさま山荘1972/坂口弘


 しかし,今週はよく雨が降ったですよねぇ。普段の通勤は自転車なのですが,バスに乗るのも中途半端な距離だし,タクシーなんてもってのほかなので,テクテクと歩いて仕事に行っていましたです。まぁ,冬なので歩いて汗をかいてバテバテなんていうことはないので,別にいいんですけどね。しかし,飲みに行って愛用のユニクロの折りたたみ傘を忘れて帰ってしまったので,新しく買ったのですが,2回使っただけで傘の骨とバネを固定していたハト目が取れてしまい,どうしたもんかなぁ,買い換えるにはあんまりにも早すぎるしなぁと思って,最初は糸で縛っておけばいいんでない?ということで糸で縛ってみたものの,1日しか持たず,それならと100円ショップになにかないかなぁ(100円ショップの物なら失敗しても痛くないし)と修理に使えるようなものを漁りに行ったところ,1ミリ径のアルミ製の針金があったので,これで縛れば糸みたいに切れることはないし,アルミだから軽いし錆びることもないのでよいのでないかい?ということで買って帰って,家ではと目穴に針金を通してグルグルと縛って,骨の隙間に縛った針金をはめ込んだところ,きっちり直ってしまったですよ。これでもう大丈夫だし,仮にちぎれて(アルミの1ミリ径の針金がちぎれるなんてどんな使い方をしてるんだよ?)も,また縛ればいいし,他のハト目がぶっ飛んだら同様にすれば良いわけだし,非常に結果オーライだったのではないかと自分では思っていますです。ついでに言うと今回の折りたたみ傘は,傘袋にキーホルダーが付いているので,落とさないためにこれまでは傘の紐をデイバッグ固定していてちょっと取り出すときとかに便利が悪かったのですが,傘袋をデイバッグに固定するようにしたので,取り出しやすくなったのも良いですね。なかなかユニクロも気の利いたことをするじゃないってちょっと感心しましたです。

 で,2回にわたって坂口弘の「あさま山荘1972」を語ってきましたが,今回で終わりです。で,最後は同志リンチ殺人に関する記載が中心の「続 あさま山荘1972」でございます。それで,この本は下巻で原稿紛失ということで途中で終わった第22章から始まります。
 第22章「死者続出の総括(つづき)」では,小嶋和子と加藤能敬のリンチに関する記述が中心なのですが,永田洋子の「腕の1本や2本切り落とすことになっても,革命戦士になればいいのよ。」という発言に何考えてんだろう?って本当に思ってしまいましたです。仮に総括で革命戦士になれたとしても,両手がなければ銃を使うことはできないのであって,あんたの言う革命戦士って何?って感じでございます。しかも真冬の寒い山中で戸外に縛り付けるなんて死なないわけはないよなぁと思いつつ,それが総括って思えるところが狂っているよなぁ。ここで後に死んでしまう山田孝が「死は平凡なものだ。死を突きつけても革命戦士にはなれない。考えて欲しい。」と森恒夫に総括を辞めるように伝えたところ,森恒夫は「死は革命戦士にとって避けて通ることのできない問題だ。精神と肉体の高次な統合が勝ち取れていれば死ぬことはない。」というトンデモ理論で答え,ここで山田孝の意見が引っ込められてしまうんですよね。ここで動きがあれば(無理だとは思いますけど)ここまでにはならなかったのかもしれないんですけどね。
 第23章の「赤軍派メンバーに対する総括」では,主に遠山美枝子に対する総括の様子が描かれています。しかし,なんでここまでと思うのが,遠山美枝子に顔の自己殴打を命じ,30分間自己殴打を続けさせ,腫れ上がった自分の顔を鏡で見させるだなんて鬼畜の所業としか思えませんですね。こんなことをして革命戦士になれると考えていたことが狂っていますね。で,結局,遠山美枝子も死んでしまうわけですが。
 第24章「処刑」では,これまでは一応革命戦士化させるというとりあえず崇高な目的があったのですが,とうとうそんな目的もない寺岡恒一の処刑まで堕してしまうわけなんですけど。しかし,ここで一番笑わせてもらったのが,森恒夫が寺岡恒一に対して「君の政治的傾向は官僚主義スターリン主義である。」と言い放つところで,最もスターリン主義な人間が何を言ってるんだよってなかんじですよね。っていうか,これだけ自己批判しろとか人に言っておいて,微塵も自己分析ができていないっていうのもすごいよなぁ。しかし,アイスピックでメッタ刺しした上,首を絞めて殺すんだから,もう鬼畜としかいいようがないよなぁ。人間性って本当に簡単になくなってしまうんだなぁって思ってしまいましたですよ。
 第25章の「処刑の反動による総括」では,山崎順に対する総括が中心となっていますが,そのきっかけとなった森恒夫の発言がまたイカれていて「同志的援助の結果,6名が自ら敗北して死んでいったのだ。殺したなどと言うのは,共産主義化を理解していない証左だ。」などという目玉どこ〜?的な発言で始まるんですよねぇ。でその間に「自分は反革命になりきる!」と言って岩田平治が逃げてしまうんですけど,これは本当に正解ですよねぇ。こういう判断を森恒夫永田洋子以外のメンバーができなかったのが本当に悔やまれますです。で,結局,山崎順も死刑という名の処刑を受けてしまうんですよねぇ。で,その次に自動車の運転が下手だからということが主な理由で山本順一を総括にかけてしまうんですよね。で,夫が亡くなったので,山本夫人は子供を置いて脱走してしまうんですよね。
 第26章の「革命左派女性メンバーに対する総括」では,大槻節子と金子みちよへの総括が記載されています。しかし,大槻節子の「自分が何で総括を要求されるのか分からない。」という本音は本当にそうなんだろうなぁと思いますし,これまでに総括や処刑された人も本当にそう思いながら亡くなったのではないかと思いますです。金子みちよについては,なんで妊婦に対してここまで酷いことができるのか?というのが正直な感想です。金子みちよの「今の私では駄目だということですか?」の問いかけは,本当は答えなんかない総括の中で,じゃあどうすればいいの?というしごく真っ当な問いかけだと思うのですが,その問いかけに対し森恒夫は「聞く必要はない。」と一蹴しているのですが,一体総括させたいのかしたくないのかよく分かりませんな,この男は。殴打の中で金子みちよは「私は山に来るべき人間ではなかった。」とこれまた当然の発言をしているのですが,森恒夫はこの言葉を反革命と捉え,金子みちよの胎児を奪還するという正気の沙汰ではない発想にたどり着くんだから,本当に狂っていたとしか言いようがないですね。で,金子みちよも亡くなってしまうんですけど。
 第27章の「総括による最後の犠牲者」では,山田孝の総括のことが記載されているのですが,真冬の山中で雪の上で正座をさせられたり,縛られていたために,両手両足が凍傷で使い物にならなくなってしまい,すでに革命戦士としては使い物にならない状態になってしまっていたんですね。ここまできて,やっと坂口弘はこれ以上総括という名のリンチが続くのであれば森恒夫を殺すしかないという悲壮な思いに至るというのも,ちょっと遅すぎたような気もしますが,少し救われましたです。で,山田孝も結局は「総括しろだって!畜生!」と叫んで亡くなってしまうのですけど。
 第28章は「リーダーの自死」ということで,同志殺人後の経緯は下巻に詳しく書いてあるので,森恒夫の自殺について記載されています。それまで黙秘していた逮捕されたメンバーが自供し始めたのは,森恒夫の上申書が原因なのですが,森恒夫としては「12名の同志の遺体に対し私が何らの責任を持ち得ない立場にいる事を自覚し,その遺体を遺族の人達に手渡す事は最低限許されることだ。」ということで出したということですが,12名の同志を殺しておいて遺体に何らの責任も持てないとはどういうことなの?と思わずにはいられませんでした。まぁ,逮捕されたメンバーが自供を始めたのは,森恒夫が裁判所という権力に対して上申書を出したことで,権力に対して屈服した,総括を主導した人間の重大な裏切りと受け取ったからということですが,それも当然のことだよなぁと思ってしまいましたです。まぁ,森恒夫自己批判をした上で,拘置所内で首を吊ってしまうわけなんですけど。
 第29章の「武装闘争の清算と出国拒否」では,黙秘していた坂口弘が金子みちよと胎児の遺体写真を見せられて自供を始めるところから始まり,極左暴力路線からの転向,日本赤軍の奪還要請に対する許否までが描かれていますが,奪還許否をしたことについては十分評価できるとは思うのですが,死刑回避は難しいだろうなというのが正直な感想ですかね。
 第30章の「死刑判決と真相究明」では,吉野雅邦に対する東京地裁判決を共産主義化論の視点も加えて記載しているのですが,なかなか読み応えがありましたです。で,統一公判組の判決についても触れられており,「革命の大義名分などは微塵もなく,ただ血に飢えた棒と煮夜無差別殺戮があっただけである。胸を張ってみても,革命家の招待などとは,所詮かくのごときものでしかなかったのである。」と非常に厳しく(当たり前ですけど。)断罪されていて,仕方ないよなぁと思わざるを得ません。死刑判決を受けた後,坂口弘は聖書を読んで,「マルクス主義には死生観や魂の救済については触れられていない。これでは宗教に勝てないとつくづく思った。」ということですが,なんか当たり前のことにやっと気づいたの?っていう感じがしましたです。
 最終章の第31章は「上告棄却と歌作」ということで,死刑判決確定までの思いと歌作を始めたことを淡々と記載しています。

 全3冊のこの本は,ハッキリ言って連合赤軍事件の全貌を子細に記述し,かつ多少自己弁護はあるものの(仕方ないとは思いますが),圧倒的な分量で当時の情勢から同志殺害,内側からのあさま山荘事件が描かれており,資料としては一級品ではないかと思います(これを読むと永田洋子の本は今ひとつ読む気が無くなってしまった私ですが。)。

 ここで既に3週に渡り坂口弘の本の紹介をしてきましたが,「あさま山荘籠城 無期懲役囚吉野雅邦ノート」も貪るように読んでしまった上,「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 」も届いたので,あと2回,連合赤軍モノにお付き合いください。
 しかし,これまで同志殺害の場面について正面から映像で描いたのは「光の雨」しかなかったのですが,なんか劇中劇のような映画で途中で終わってしまって面白くもクソもなかったので,「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 」は監督も若松孝二監督なので,きっちり描いてくれると思うだろうけど,かなり鬱なシーンの連続になるんだろうなぁ。それと山本直樹にレッドもそろそろ同志殺害に入っていくと思うのですが,あの山本直樹がどのようにあのシーンやこのシーンを描くのかを非常に楽しみにしていますです。