ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

この世界の片隅に全3巻/こうの史代


 週に2日ほど自宅待機をしつつ,無事(でもないか?)週末を迎えて,少しホッとしているフルカワでございます。昨日からの雨が降ったり止んだりでパッとしない天気ですが,まぁ,外出自粛要請中ですし,そんなもんですか。
 さて,前回のブログをアップした後のフルカワの日常ですが,日曜日は外出自粛要請中だけどプレオで少し走るのは問題なしでは?と思いつつ,コンビニはトイレもゴミ箱も使用禁止中のため休憩ポイントには使えないのでどうしたもんかなぁということで,プレオで休憩なしで2時間ちょっとだけ走りにいくことにしましたです。金曜日はほぼ日がな一日自宅でウダウダしていたので,2時間少しでしたがプレオで走って少しスッキリしましたです。これがパナモリなら・・・と思ってしまいましたが,もう少し我慢しましょうかね。
 月曜日からは仕事ですが,火曜日と木曜日は自宅待機日でしたので,基本的に持って帰ってできる仕事がないので,自宅待機は休暇を消化しつつ自宅でウダウダし,その反動で出勤した日はバタバタでしたが,なんと木曜日の段階で緊急事態宣言のエリアから外れるということで,金曜日には県も外出自粛等の判断をするということでしたが,どうせ勤務時間中の発表はないだろうということで,外出自粛維持と外出自粛解除の2パターンを用意しておかないといけなかったので,余計な仕事がプラスという感じになってしまいました。家に帰って,NHKニュース防災アプリで確認してみると,月曜日から平日の外出自粛は解除で,週末の外出自粛だけ要請するということでしたので,まぁ結果オーライということで。
 今日はいつものとおりのんびり起きて,ご飯を食べて,ワイシャツにアイロンをかけて,洗濯が終わってから買い物に行き,午後はプレオの半年点検に行き,問題なし(ただし,もう少し走りましょうとは言われてしまいましたが,外出自粛要請を受けて,走りに行けなかったのでやむなしということで。)ということで,自宅に戻ってからブログネタを打っていますです。明日はくもり時々晴れで午後の降水確率は10%,最高気温は26度ということで,パナモリで走りに行くのは絶好の天気ですが,週末の外出自粛要請が出ているのでもう少し我慢しようと思っています。このまま新規感染者が出なければ,来週の水曜日には週末の外出自粛要請も解除になるとのことなので,来週の週末,外出自粛要請が全部解除になってスッキリとした気持ちで走りに行けばいいんでないかい?ということで。とはいえ,緊急事態宣言が解除されたということで,コンビニがトイレとゴミ箱の利用を再開してくれたので,プレオで走りに行くというのはありかなぁと思っています。もちろん,マスク持参でですけど。

 フルカワの日常ネタはこの程度にして,今回も漫画ネタということで,こうの史代の“この世界の片隅に”を紹介したいと思います。アニメ化もされ,テレビドラマ化もされ,小説版も出て,ということで何を今更という感じもありますが,漫画でじっくり読んだらこれはこれで面白かったということで。こうの史代については,“夕凪の街 桜の国”は読んだことはあるのですが,この話も広島市とその隣の呉市の戦時下の話ということで,すっかり戦争漫画家(戦闘シーンは描かないので,戦時漫画家ですか?)のようになってしまいましたが,テーマは何にせよ面白ければよいということで。
 「この世界のあちこちのわたしへ」よいうモノローグから始まり,主人公である浦野すず(後の北條すず)が昭和9年1月の話(冬の記憶)なので,9歳のときの話になるのでしょうか。自宅のある江波町(広島市西区)から中島本町広島市中区。現中島町)までの片道3キロをお使いするという話ですが,すずが人さらいに捕まることで後に夫となる北條周作と出会う話になっています。次に1年後の昭和10年8月の話(大潮の頃)で,自宅のある江波からおばあちゃんの家がある草津広島市西区)まで引き潮の海を兄妹3人で渡って行くという話になっていますが,ここですずは白木リンと出会います。次に3年後の昭和13年2月の話(波のうさぎ)で,水原哲とのエピソードが描かれます。
 そして昭和18年12月からの話が“この世界の片隅に”として始まるのですが,いきなり呉の人がすずを嫁にほしいという話が舞い込んできて,自宅へ戻る途中にすずは水原哲に会った後,自宅へ戻り,窓からそっと相手の男性(周作)を見て,そのまま家に戻ることなく皿山(周作たちが電停を探して山に登ったということなので,多分)で佇んで「いやかどうかもわからん人じゃったねぇ・・・」と思いつつ,電停を探して山に登ってきた周作たちを電停に案内してから自宅へ戻ると結婚が決まっていたということで,そういう時代だったんでしょうね。それから3か月後の昭和19年2月にすずは30キロ離れた広島県呉市上長之木町(現長ノ木町)へ嫁ぐことになり,江波での生活から呉での生活が始まるのですが,そうこうしていると義理の姉の黒村径子とその娘の晴美が婚家から出戻り,4人暮らしから6人暮らしになるのですが,径子から悪意で自宅へ戻るよう言われたのですが,径子以外の皆が良い方(里帰り)に捉え,お姉さんのがっかりする顔がなんともはやですね。
 里帰りすれば昼寝から起きて「呉に嫁に行っている夢を見た。」と言って,母親に怒られたりしながら呉へ戻ることにしたのですが,市内をスケッチしているうちに乗車券が売り切れるという今では信じられない理由で戻れなかったりしたのですが,そんなすずでも円形脱毛症になるくらい気を使っていたり,やはりいきなり他人の家で生活するのは大変なんだなぁと思ってしまいました。
 呉に戻ってからは,戦時中の普通の人の生活が描かれていて,雑草を利用したり,配給される量が少ないのでなんとかかさ増しして食べる工夫をするのですが,それがとんでもない味だったりと日々の暮らしが描かれるのですが,その中で周作の母親を国民学校の講演会に連れて行った帰り道に「周作が四年生の時,うちの人が一ぺん解雇されてね。同じ組の人もようけ失業して引っ越しんさった。大ごとじゃったよ。大ごとじゃ思うとった,あの頃は。大ごとじゃ思えた頃がなつかしいわ。」とポツリとつぶやくのですが,非常にズシンと来ましたね。そうこうしていると昭和19年6月からは建物疎開が始まったり,防空壕を作ったりしながら,すずは周作との暮らしの中で絆を育んでいきます。
 そして昭和19年8月に,闇市へ買い物に行ったすずは道に迷い,遊郭で白木リンに出会い,昭和19年10月からは空襲が始まり,親戚の物資疎開の荷物を整理しているときに新品のりんどう柄の茶碗を見つけると同時に,伯母から「好き嫌いと合う合わんは別じゃけえね。一時の気の迷いで変な子に決めんでほんま良かった。」と,周作から茶碗のことを「嫁に来てくれる人にやろう思うて,昔買うとった物」ということを聴き,周作と白木リンの過去の関係に気づいて,自分はリンの代用品ではないかと悩むようになってしまいます。そうしていると,昭和19年12月に水兵になっていた水原哲が下船して訪ねてくるのですが,周作はすずの気持ちを知ってか知らずか,すずと水原哲を二人っきりにしてしまいますが,すずは自分の水原哲への思いよりも周作への気持ちが上回っていることに気づき,水原哲への気持ちを清算するのですが,水原哲がいつ死んでもおかしくない状況で生きている中で「普通でいることの大切さ」を語っているのですが,これも良い話なのですが,長いので,まだ読んだことのない方は読んでみてください。昭和20年2月にはすずの兄が戦死して桐の箱に入って戻ってくるのですが,あまりに軽いので何が入っているのかと思えばただの小石だったという,笑えない話がある中,日常は淡々と続く中,昭和20年3月には呉の上空を米軍機が通過し,それでも4月には花見をし,そこですずはリンに会うのですが,リンはすずが周作の妻であることを知った上で,「人が死んだら記憶も消えて無うなる。秘密はなかったことになる。それはそれでゼイタクな事かも知れんよ。自分専用のお茶碗と同じくらいにね。」という非常に意味深なことをすずに伝え,去っていきます。そして昭和20年5月,周作の父親が勤め広の海工廠が空爆に会い,父親は行方不明になり,周作も3か月軍事教練を受けるため家を離れることになるのですが,そのとき改めて,すずは自分の気持ちを周作に伝えるのですが,良いシーンだなぁと思ってしまいました。
 そして昭和20年6月,周作の父親の入院先が判明し,その見舞いに晴美と一緒に行った帰り道に空襲に会い,すずは晴美と右手を失ってしまいます。そして周作も戻ってきて,昭和20年8月,右手を失ったすずが周作とギクシャクしているため江波へ帰ろうとしたところ,これまで意地悪だと思われていた経子が本音を話すのですが,これがまた,さすが元モボという感じでカッコよいです。しかし,そのとき,広島に原爆が投下され,すずは江波へ行けなくなり,親族とも連絡が取れないまま8月15日に玉音放送が流され,すずは家を飛び出し,太極旗が掲げられているのを見て,「暴力で従えとったいう事か。じゃけえ,暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなぁ・・・。」と泣き伏してしまうところは,負けたんだなぁという気持ちがヒシヒシと伝わってきました。そして昭和20年9月に妹のすみから手紙が届き,すみは草津にいることが分かりました。そして出張する周作を見送りときにリンが働いていた遊郭へ行ってみると,遊郭は空襲で破壊され,すずがリンにあげたお茶碗も壊れており,リンが空襲で亡くなったことを思わせるシーンとなっており,すずが「ごめんなさい。リンさんの事,秘密じゃなくしてしもうた・・・これはこれでぜいたくな気がするよ・・・」と花見のときにリンから言われた言葉を自分に言い聞かせている姿がいじらしいなぁと思ってしまいました。
 昭和20年12月,すずは,呉の港で挫傷している青葉(戦艦)を見ている水原哲を見つけますが,「でもけっきょくうちの居場所はここなんですよね。」と言うと,水原哲には声をかけることなく,そのまま立ち去ってしまうのですが,そこでのすずの回想が非常に素晴らしいのですが,少し長いので気になる方は読んでみてください。そして昭和21年1月,ようやくすずは草津へ行くことができ,妹のすみと会えたのですが,すみは原爆症で体調を崩しており,母親は8月6日の朝,市内中心部へ行ったため,そのまま行方不明,父親は母親を探しに行ったため原爆症で亡くなったということを聴き,自宅を見てから,市内中心部へ行きますが,誰もが誰かを探している状態の中,戻ってきた周作にすずは「周作さん,ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう,周作さん。ほいでもう離れんで・・・ずっとそばに居って下さい。」といいことを言ったのに,手をつないでいたのは周作ではなく,冬の記憶に出てきた,すずと周作を捕まえた人さらいだったというオチがあったりと,ここでこういう展開かい!と突っ込んでしまいました。そして最終話は,原爆孤児となった女の子が広島駅で汽車を待っているすずと周作に会い,自分の母親と同じように右手を無くしたすずに甘えてくる女の子を見て,晴美と重ねたのか連れて帰り,一緒に暮らし始めるところで終わります。
 正直に言って,この作品が素晴らしいのは,メインの場所を広島ではなく,呉と,また呉市内ではなく,呉市内から少し離れたところをメインの場所としたことから,ダイレクトに原爆を描くこともなく,呉の空襲を描くこともなく(晴美は亡くなってしまいましたが。),淡々と日常を描きながら,日常の暮らしの中ですずの目を通した幸せや不安を描くことで,戦時下の暮らしを浮かび上がらせているところではないかと思いました(そういう意味では原爆をテーマにした“夕凪の街 桜の国”もダイレクトに原爆投下を扱わず,相生通り(通称原爆スラム)で暮らす会社勤めの主人公が原爆症で亡くなるところから始まりますしね。)。正直,直接体験した人の戦記物(例えば,水木しげるの“総員 玉砕せよ!”や中沢啓治の“はだしのゲン”とか。)には勝てないのだから,そういう意味では直接体験していない世代は間接的な資料で淡々と描いた方が正解なのかもしれないと思いましたです。

 新型コロナウイルス対策として,「新しい生活様式」が提案されていますが,その中に「外出時,屋内にいるときや会話をするときは,症状がなくてもマスクを着用。」ということがあり,当面はマスクを着けておくことが必要だなということで,家を出るときはエレベーターに乗るし,途中でコンビニで買い物をするので,耳には有線のヘッドフォンが着いているので,マスクを着けたり外したりが面倒なので,マスクを着けっぱなしにしているのですが,ここのところは天気が良かったので,マスクを着けっぱなしで歩いていても問題はなかったのですが,昨日は雨の中,マスクを着けたまま歩いて帰っていると,あっという間にメガネが曇ってしまい,これはもう前が見えないということで,途中からメガネを外して歩いたのですが,それもなんだかなぁと言う感じなので,ネットでメガネが曇らない方法を調べてみたものの,不織布マスクで使える方法ばかりでした(マスクの上を折ったり,ティッシュペーパーを挟んだり。)。
 そうすると,「新しい生活様式」で提案されているのは「屋内にいるときや会話をするとき」にマスクを着用しましょうということなので,雨が降っていて,屋外にいるときはマスクを外すという選択をするしかないのかなぁと思ったりもしていますが,とはいえ通勤のときは,眼鏡のチェーンやヘッドフォンがあったりしてマスクを着けたり外したりするのも面倒なので,曇って見えないならメガネを外すという選択肢が一番良いのかもしれないですね。歩いている時であれば,視力が低下していても自分が何かにぶつかっていくということは少ないでしょうから(ぶつけられるのは仕方がないということで。)。