ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

証言 連合赤軍/連合赤軍事件の全体像を残す会編


 2014年が明けましたでおめでとうございます。本当は1月4日から仕事なんですが,今日が土曜日なのでお休みが少し伸びて嬉しいフルカワでございます。正月とはいえ家庭内が上の子供の受験モードのため,基本的に家でグダグダしていました。というか,年末年始のために残しておいた本をむさぼるように読み,夜は録画しておいた深夜映画を見ながら年末年始用に買った酒を飲みんでいたフルカワです。走り始めですが,今年は早々と1月2日に走らせてもらいましたです。というのも,1月1日時点の天気予報では1月2日の午後が降水確率10パーセント,3日の午後が降水確率30パーセント,4日と5日にいたっては降水確率40パーセントと笑えない数字だったので,これは2日に走りに行くしかないだろうというわけで,2日は朝からキリンのラガーを飲むことなく,じっと午後になって少し気温が上がるのを待ってから,午後から西方面海岸線コースを楽しく70キロほど走らせてもらいましたです。天気も良かったですし,風もそんなに強くなかったので,走り始めとしては本当にイイ感じで走らせてもらいましたです。いつものコースの途中に大きな神社があるので,初詣の交通規制で別ルートを走ったのですが,さすがに自動車が少ないので,普段は自動車が多くて走りたくない道も比較的気持ち良く走らせてもらいましたです。で,西方面海岸コースにはかなり有名な神社が対岸の島にあるところがあるので,多分,自動車はどうしようもないくらい混んでいるだろうなぁと思いつつ走っていると,案の定,神社へ渡る港付近がどうしようもないくらい混んでいましたね。まぁ自転車なので徐行しながら左端を通過させてもらいましたが,混むのが分かっているんだから電車で行けばいいのにと思いつつ,さすがにこれだけ混むと,港から先はガラガラの状態でしたので,これまた気持ち良く走らせてもらいましたです。しかも,まだ正月2日ですので大型トラックも少ないこともあり,普段は泣きそうになりながら大型トラックをやり過ごす地点でも,大型トラックに出くわすことなく,気持ち良く走らせてもらいましたです。まぁ,これも正月ならではですよねということで。しかも,うれしいことに天気予報が外れてくれたみたいで,1日の予報では降水確率40パーセントだった明日がなんと降水確率10パーセントに下がっているので,予報どおりになれば明日も走りに行きたいなぁと思っていますです。来週の日曜日は結婚式の二次会に呼ばれていますし,再来週の土曜日は夜勤ということで,時間のやりくりがうまくいかないと2週間連続で走りに行けないかもしれないので,そうなるとこの休みの間に走り貯めをしておこうかなぁと思っていますです。

 で,年始は有り余る時間を有効活用して,“証言 連合赤軍”を一気読みというか,むさぼるように読ませていただきましたので,今回は“証言 連合赤軍”を紹介したいと思いますです。この本はタイトルと作者(というか編者)が示すとおり,あの時代を駆け抜けた人達が個々の記憶を集めることによって,連合赤軍事件の全体像を明らかにしようという試みに基づいて発行されてきた同名の冊子でこれまで発行された10号までをまとめた上,巻末には詳細な資料が付けられているという,連赤マニアというか共産趣味者にとってはたまらない本になっています。が,やはりある程度,当時の状況についての知識がなければ読んでいても意味が分かりにくいこと,それなのにページ数が本編653ページ,資料編39ページとほぼ700ページという大部なものであること,更に定価が4700円とはっきり言って興味のない方には高すぎる値段であることから,普通の人には多分,手が出しにくい(出せない)本になっています。仮にこれまで連赤関係の本を読んだことがない方がこの本をいきなり読む前に,できれば徳間文庫から発売されている山平重樹の“連合赤軍物語 紅炎”を読んでからをオススメしたいと思います。というか,“連合赤軍物語 紅炎”は税込みで720円で買えるので,まずこっちを読んで,更にディープに知りたいという方が,本書を買うのが正解かなぁと思ったりもします(ちなみに,角川書店から発売されている朝山実の“アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年”も分かりやすい本だと思います。また,活字はどうもという人は山本直樹の“レッド”はまだ連載中ですが,通称岩木本,坂口本等のエッセンスを上手にミックスしてストーリーを構築していますので,分かりやすくてあっさり読めるのではないかと思います(が既に単行本としては7巻出ていますが。)。)
 などとすっかり前置きが長くなってしまいましたが,そろそろ本論に入って行きたいと思います。ハッキリ言って,これまで連赤問題に興味があり何らかの文献を読んでいる人は必読と言えるでしょう。巻末の資料編を読むだけでも,これまで分かりにくかった事象や時系列,また人物関係がより分かるのではないかと思います。私も改めて,フンフンそうだったのかという気持ちになりました。そして本編は3章に別れており,第1章は連合赤軍事件の全体像を残す会(以下「残す会」という。)が行ってきたシンポジウムを時系列に掲載し,第2章はインタビュー記事を時系列に掲載するとともに,雪野建作さん(以下,既出の方は姓のみで記載します。)の保護司宛書簡やなんと吉野雅邦さんの獄中メッセージが,第3章はパトリシア・スタインホフの論考が掲載されており,私のような人間にとってはもうむさぼるように読むしかない内容になっていますです。
 第1章ではやはり,2003年に行われた連合赤軍殉難者追悼の会,2011年に行われた永田洋子を送る会,2012年に行われた連合赤軍殉難者追悼の会,浅間山荘から40年当事者が語る連合赤軍の書く記事が非常に印象に残りましたですね(っていうかほとんどなんですけど。)。
 2003年の連合赤軍殉難者追悼の会では,亡くなった仲間の思い出ということで,亡くなった方のプロフィールを紹介した後に,関係があった方が話をするという構成になっているのですが,ほとんどの方が「彼と会ったのも数回で,闘争の場で一緒にいる仲間ではあったが,彼の人となりとか,自分のことをゆっくり話あったことはな」かったり,「個人的な付き合いはない。」という方がほとんどで,革命の遂行というあんなに濃密な時間を一緒に過ごしていながら,あまりにも希薄な関係性(この点については,逮捕を免れるために偽名を用いたり,身元が割れるようなことは仲間内でもあえて話をしなかったということもかなり影響しているのだとは思いますが。)に少し愕然としつつ,こういう状況だったからこそ,情報が点在していて全体像が見えにくいんだろうなぁと思ってしまいましたです。
 永田洋子を送る会では,最初に司会の雪野さんが「永田さんと言うのか,もちろん同志と言うには経緯からして相当抵抗がありますし,それとも永田洋子と言うのか」というところで凄く悩んでいることが連赤問題の全てを語っているのではないかと思いましたです。
 2012年の連合赤軍殉難者追悼の会では,鈴木邦男さんの言葉が光っていましたですね。「少なくとも皆さんは運動をやったときは夢を持って,それでまた愛を持って、この世界を変えようと思ったわけでしょう。だったら,殉難者追悼なんてやめましょう。連合赤軍の夢を語る会,零号赤軍に学ぶ会にしたらいいじゃないですか。いや,亡くなった人はみんな殉難者だというならば,皆さんももうすぐ殉難者ですよ。(中略)連合赤軍が日本を変えました。いい意味じゃなくて。だって,連合赤軍がやろうとした夢や希望や愛や,そういったものを全く伝わらない。逆にマイナスの方のことばかりが伝わっているじゃないですか。(中略)ですから,僕はもう今の日本は,連合赤軍化する日本になっていると思います。」だなんて,相変わらず言いたい放題だよなぁと思いつつ,鈴木さんの愛が光っているなぁと感じましたです。
 浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍では,3部構成になっていて,第1部は映像で振り返る(これはもちろん省略),第2部は当事者世代が語る,第3部は連合赤軍事件が残したもの,第4部は若い世代にとっての連合赤軍というjことで,非常に濃い内容の話になっているのですが,やはり第4部の雨宮処凜の「韓国でもBSEの問題をめぐって高校生が中心となって100万人デモが起きたわけですけれども。何で韓国ではこんなにデモが起きるんだ,っていうふうに聞いたら,まあそれは韓国では連合赤軍事件のようなことがないから,運動に対するマイナスイメージも日本ほど強くない,やっぱり連合赤軍事件というのがすごい原因じゃないか,というようなことを言われて。それで,すごく,それを他の人に言われたっていうのが私にとってはびっくりしたことで。自分がそういう生きづらさの問題と,そういう空気の問題,今のなんていうのかな,連赤以降の政治が禁止される空気の問題を考えていたときだったので。」という発言を受けて,雪野さんが「いやもちろんそういう反省はあります。ただ,逆にですね,そんなに言われてもな,という気もあります,はっきり言って。あの,世の中問題があるわけでね,それにいろいろな人達が反発して,いろいろな活動をするわけですよ。で,そのときに40年前の昔のことを考えて,ちょっとここは止めておこうと思う人がいるのかな,という気は正直あります。まあただ,一般的な雰囲気は醸成したという意味ではあるんだろうなとは思いますけれども。」と発言したり,青砥幹夫さんが「我々も,日本の社会運動とか階級闘争に悪い影響を与えたと十分承知していますけれども,止めるのはアンタの勝手でしょと。」発言しているのですが,雪野さんと青砥さんの発言にはもっともだと思ってしまいました。正直,私が連赤にはまるきっかけになったのは,当然70年代フォークに傾倒していたこともあるのですが,丁度荒れる中学校まっただ中で,「どうして少数の馬鹿どもを我々は協力して排することができないのか。70年代には同世代の馬鹿よりももっと大きな国家に対してみんなで異議を唱えていたではないか。あの頃の若者と自分達とどこが違うんだろう。」と考えて,全学連等の学生運動から連合赤軍事件の深みに一気にはまってしまったというのが正直なところなんですが,私よりもさらに世代が下の雨宮処凜が言わんとするところは分からないではないんですが,やはり一般的な雰囲気は醸成したという点では間違いないんだろうと思うのですが,「止める(やらない)のはアンタの勝手でしょ」ということに尽きるのではないかと思います。確かに韓国はデモとかよくやっていますが,結局,反日の関係でデモとかそういったものが日常的(かつ国家ぐるみ)に行われているので,そりゃあデモとかそういうことに抵抗が全くないけれど,日本ではデモというと必ず後ろに組織の存在が見え隠れしたりするので,デモ自体が胡散臭いものになっているのではないでしょうか。正直,私も若い頃は労働組合の関係でデモに動員されたりしましたが,自分の主義主張とは全く異なるテーマなのに,単に親組織から何人動員するよう指示がされているからとか,組合員だからという理由で参加させられていましたが,結局そういうことが嫌になったんでしょう。やはり,自分で参加したいテーマで,しかもそれを機会に自分達の勢力に取り込もうという組織の存在が見えなければ,もっと参加する人が増えるのではないかと思ったりもするのですが。「連赤以降政治が禁止される空気」があったわけではなくて,政治をきちんと届けてくれる人がいなかっただけではないかと思いますけどね。正直,BSEの問題でデモをする必要があるかと言われると,私自身はそれは農水省が検討して必要な措置を執るべきで,それをしない場合に何らかのアクション(例えば,農水省のサイトにコメントを書き込む運動等)を起こすことになるんだと思いますけどね。う〜ん,この辺は個人的な意見になってしまい,本の感想を飛び越えてしまいそうなのでこの辺にしておきましょうかね。
 第2章は,雪野さんの保護司への書簡,八木健彦さん,塩見孝也さん,豊浦清さん,川島宏さん,雪野さんのインタビュー,そして吉野さんの獄中からの投稿となっているのですが,どの方のインタビューも本当,むさぼるように読ませてもらいましたです。
 雪野さんの書簡で印象に残ったのは,雪野さんが革命左派(当時はまだ革命左派ではなかったのですが・・・)に惹かれた理由として「わかりやすい文章を使い,学生運動特有の胃岩間氏や語句を用いることはほとんどありませんでした。文章というものは,たくまずして,それを書いた者の思想を反映します。学生運動のなかでよくみられる,難解で独特の文章は,その思想が一般性をもたない狭い社会層のものであることを示しており,また,彼ら自身,広い人民に理解されることを望んでいないことを示しています。もし,本当に相手に理解してもらい,受け入れてもらいたいなら,他人にも理解できる文章を使うように心がけ,身内にしか通用しない隠語のようなものは決して使わないように努力するでしょう。(中略)実際には,文章は難解でも,たいした中身はないのですが。」と書かれているのですが,これは私がさっき書いた「きちんと届けてくれる人がいなかった」に繋がることで,そうすると最初からきちんと届けてくれる人はいなくて,小さなムラの中での社会運動に過ぎなかったのではないか,だから雨後の竹の子のように盛り上がった後は,みんな素知らぬ顔で竹林になってしまったのではないかと思ってしまいましたです。
 八木さんは元赤軍派政治局員だった方ですが,ブントから赤軍派が派生し,そしてご自身が逮捕されるまでを客観的に話しており,非常に分かりやすい内容になっています。
 塩見さんは元赤軍派議長ということで,知る人ぞ知るという方ですが,他の皆さんが結構思想的な物は未だに持ちつつも,普通の会話を成立(とはいえ多少,各種左翼用語は入りますが。)させようとしているのですが,塩見さんの場合,相変わらず赤軍派の理論家という感じの会話で,非常に表現が硬いなぁと思ってしまいました。もう少し柔らかい表現ができるようになって,新しい本が出るようなことがあれば読んでみたいとは思いますが,付記とされた最近文章を読んでも,やっぱり硬いなぁという感じなので,きっと塩見さんは,このままなんだろうなぁと思ってしまいましたが,話の中身は非常に興味深い内容となっています。
 豊浦さんは元ML同盟の指導者的立場であった人で,毛沢東派の流れを話しているのですが,それだけではなくブント(社学同)から始まり,分派が起こり,ML派ができ,毛沢東思想の話になるのですが,その中で素晴らしいなぁと思ったのが,「畠山は(中略)日本的なものにこだわり続けましたね。(中略)それぞれの国の方法論がなきゃいけないんだ,と,じゃあ,なんで日本なのに毛沢東思想なのかというと,(中略)日本においていずれ新しいマルクス主義を作っていくとすれば,非常に大事な素材になる。」という話でしょうか。あくまでも最初に素材としての思想だったものが,その後,絶対的なもの、教条的なものへ変質していくことの怖さを少し感じてしまいましたです。
 川島さんは東大紛争を経て赤軍派に参加し,逮捕されるまでは赤軍派の幹部として活動された方で,東大紛争当時には何も得るものがなくても「とことんやる」しかないという思いで突っ走っていたということであり,そういう意味ではあの壮大な学生運動が何もあることなく終わってしまったのではなく,そもそも何も得られなくても良いという考えで動いていたということが分かったというだけでも非常に意味のあるインタビューになっているのではないかと思います。
 雪野さんのインタビューなんですが,主に革命左派とは何だったのかという話になんですが,話をひもといてみると,革命左派の源流はブントではないかということで,そうであるならばブントから派生した赤軍派と結合するのは思想的にも無理はないよなぁと思ってしまいましたです。
 最後の吉野さんの寄稿なんですが,短いながらも吉野さんの誠実さが感じられる文章になっているので,吉野さんの本が早く出版されないかなぁと思ってしまいましたが、今回の文章で凄いなぁと思ったのは,「森恒夫は「自死」ではなく「自己処刑」」というタイトルの短文で,「彼の東京拘置所での自死は,彼にとってはその延長線上での最終的決戦で,彼は薄らぐ意識の中で,「オレは死の恐怖に勝った,自分の中の醜さや弱さ,臆病さに決別したぞ,自己処刑の闘争をやりきったぞ」そんな満足感を初めて得たのではないかと思います。」と書かれているのですが,森恒夫を落とすでもなく上げるでもなくその位置をずらすことなく,書いているなぁと思ってしまいましたです。
 第3章は『国際的背景からみた連合赤軍」と題したパトリシア・スタインホフ(ハワイ大学社会学部教授)の5ページの小論文なのですが,これはやはり前提となる“死へのイデオロギー 日本赤軍派”を読まないと分かりにくいと思いますので,ここでは詳細は省略させてもらいますが,連合赤軍事件は日本固有のものではなく,活動が地下に潜行することによって普遍的に起こりえることなんだということを社会学的なアプローチから説明しています。
 正直,一気に読ませてもらいましたが,非常に読み甲斐のある本で,しかも何度も書きましたが,本当にむさぼるように読んでしまいました。そういう意味では一級品の資料だと思いますので,連赤問題に興味のある方は定価で手に入るうちに手に入れておいた方が良いのではないかと思いますです。もちろん,残す会の活動はまだ終わっていませんので,これからも冊子「証言」が発行されていくことと思いますが,個人的にはまた10号程度出た段階でこういう形で総集編を発行してもらえると非常にうれしいなぁと思っていますです。というか,発行してほしいですね,本当。ここまで来たら,残す会の皆様の業績の結晶であり,誰も全体像を提示することができなかった連合赤軍問題を提示してもらえればと思っていますです。

 話は変わって,明日が終わればまた仕事が始まるのねと少しブルーな気持ちになったりもするのですが,まぁ,グダグダ生活するのも嫌ではないけれど,基本的にはスケジュールの決まった生活の方が気が楽だったりもするので,それはそれで良いかなぁと思っていますです。しかも,今年は土日が絡んだおかげで休みが長くなったので,通勤電車が帰省客とあまり被ることもないでしょうしね。毎度書いていますけど,新幹線に乗り慣れていない人(公共交通機関に乗り慣れていない人に比べればまだマシですが・・・)が多く乗っている新幹線って本当カオスなんですよねぇ。特に文字を読まない人が本当に多いのには閉口しますです。「そこはトイレじゃないから開きませんよ。」って1日に何回言えばいいんですか〜?ってな感じに年末はなってしまいましたが,年始はそういうことが少なければなぁと思っていますが,さてどうなることやら。
 仕事は始まっても学校はまだ冬休みなので,帰省ラッシュの山は越えたけど,もう少し帰省の波はあるんだろうなぁとは思っていますけどね。
 てな感じで愚痴っぽくなってしまいましたが,今年もグダグダと書き連ねたブログになるのは間違いないのですが,よろしくお願いいたしますです。