ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

夢半球/谷山浩子


 いや〜,私が住む地方都市では今週はよく雨が降ったというか,7月だというのに土砂降りでしたねぇ。でもまぁ,この間の日曜日までは何とか天気が持ったので,午後から北方面峠コースを走らさせてもらいましたです。低気圧が近づいてきているので,相変わらず風がそこそこ吹いていたのですが,往路はまあまあイイ感じで,峠の登りがあったにもかかわらず,片道40キロちょっとを2時間で走らせてもらいましたです。で,いつものように峠のコンビニで休憩&栄養補給(アンパンが美味しかったです。)をしてから,復路をスタートしたのですが,峠の下りを楽しんだ後は,ここで来るかという感じで,向かい風が強くなり,河川敷の道路まで来たら,もうこれはちょっと無理ですという感じでしたです。おかげさまで,復路は結構下りが多かったにもかかわらず,2時間かかって帰らせてもらいましたです。でもまぁ,そんなもんでしょう。もう少しスカっと晴れて,空が抜けるような青空になれば,風ももう少し落ち着くでしょうから,もう少しの我慢ではないかと思っていますが,いったいいつになれば,気持ちの良い青空になるんでしょうかね。今日も土砂降りが降ったり止んだりという変な天気でしたので,明日は動かなぁと気象庁のサイトで確認してみると,明日の午後は降水確率が30パーセントということなので,明日も走りに行けるかなぁと思っていますです。塩分&糖分補給用の岩塩飴がそろそろ甘ったるく感じるくらいになってきたので,できれば明日で岩塩飴を舐めきって,次回からは塩分チャージキャンディの梅味&グレープフルーツ味に切り替えたいなぁと思っているフルカワでございますよ。
 ところで,ツール・ド・フランスの100回大会が始まりましたが,なんとNHKのBSで“まいにちツール・ドフランス”っていう番組をやっているんですよねぇ。昨年のツールは見ることができなかったので,本当,BSの契約をしてこんなに良かった(というか,やっと恩恵にあずかれたというか。)と思ったのは初めてでございます。とはいえ,中途半端な時間に放送しているので,これはブルーレイで番組名予約録画をして,DVDに焼いてからみるべということで,念のためNHKのサイトで確認したところ,どうも1日2回放送しているので,1日のレースを2回に分割して放送しているのかしら?(NHKのサイトにも特に再放送の表示はなかったですし。)と思い,水曜日で6回分の放送があったので,とりあえずDVDに焼いて,家に帰ってから見ましょうかねということにして,家に帰ってからブルーレイからDVDを取り出し,次にダビングするときに邪魔なのでサクっと削除して,風呂からあがりビールでも飲みながらみましょうかねということで,パソコンのドライブにDVDを入れて,楽しく見ていたところ,1日目の次がまた同じような映像が・・・ひょっとしてこれは単なる再放送ではないか?と思ったのですが,いやいや再放送ならそう表示してあるだろうと思いつつ,最後まで見たのですが,アハハやはり単なる再放送でした。NHKのバカ野郎!同じ日に再放送をするなら,再放送って表示しておけよ。おかげで,見づらいDVDになったじゃないか。しかも,すでに元データは削除してしまったので,再度焼き直すこともできないしなぁ。まぁ,見れないよりかはいいかということで,気持ちを切り替えて,ツール・ド・フランスは23日間なので,既に3日分(笑)を焼いたので,5日分溜まってから焼けばちょうど5枚で収まるじゃないかと自分をなぐさめつつ,まぁビデオでないのが救いだよねということで。

 というわけで,再度,初期の谷山浩子シリーズに戻りますが,今回は1979年に発売された“夢半球”というアルバムを紹介したいと思いますです。このアルバムは前作から1年のスパンを空けて発売されたアルバムなんですけど,初期谷山浩子のメチャ暗いアルバムとして,もはや伝説の域に達しているのではないかと思いますです。当然,アルバム発売時はレコードでしたので,A面である1曲目から6曲目までは谷山浩子の語りを含めたドラマ仕立てでコンセプチュアルに,B面である7曲目から11曲目まではシングルカットされてもおかしくない(ちなみに11曲目がA面で,8曲目がB面でシングルカットされました。),それぞれが独立した世界観を持った曲の寄せ集めになっています。
 1曲目の“扉”という曲は,谷山浩子がいきなり「午前1時です。少し雨が降っています。久しぶりに手紙を書きたくなりました。あなたはお元気ですか。」とジメっとした声で語りかけたと思ったら,アコピの静かな音で始まり,そこにストリングスが被されるという,結構鉄板なアレンジなんですが,少し深めのリバーブをかけて,谷山浩子が「いつでも真夜中におとずれるものがある。」と唄われると,えぇ,グッと引きずり込まれてしまいますよ,谷山浩子の世界に。この曲,夜に部屋を薄暗くして,ヘッドホンで聴いたらたまんなんですよね。ちなみにこの曲のエンディングでも谷山浩子の語りが入るのですが、この語りの部分は後に単行本で発売された歌詞集では,3曲目の導入部分になっているので,元々はそうだったのか,後で変えたのかまでは不明でございます。
 2曲目の“破れ傘”という曲は,1曲目の谷山浩子の語りが終わると同時にピアノと唄が同時に始まるのですが,シングルで発売された“6月の花嫁”に通じるところがあるなぁと思ってしまい他です。「破れ傘であなたを迎えに行きました。ずぶぬれのあなたに,きらきら光る雫きれいでした。」なんて恋する女の娘の歌詞ですよね,素敵。間奏で弾かれる少しスパニッシュなアコースティックギターのソロもはまっていて,非常に気持ち良しです。
 3曲目の“たずねる”という曲は,ピアノの静かなリフレインに乗って,谷山浩子が「ピアノ,本棚・・・」と語った後,唄い始めるのですが,「私の部屋の中のやさしいおまえたち。」ということは,今で言えば喪女の唄ですなぁと思ってしまいましたです。特に「やさしさ,青春などと歌いながら,街の夕暮れが消えて行く。流れて行け,消えてしまえ,笑いさざめく夢の中へ」というところは,負の感情がダダ漏れのような気がしないでもないんですが,まぁ,そこが谷山浩子らしいと言えば,そうなんでしょう。
 4曲目の“愛の妖精”という曲は,またもや谷山浩子の語りから始まるのですが,この語りも凄いです。特に「地面からほんの1センチ浮き上がったところに,嘘のように漂っている耳ざわりのいい言葉と,あらゆる音と,色彩と口をとがらせた気取った小悪魔たち」という部分は凄いというか,谷山浩子自身が妖精なのではないかと思えてしまう詩だなぁと。曲は少しポップなやさしい感じで,少しホッとする感じです。ストリングスが非常に気持ち良く入っているので,このアルバムの中では本当,スッと流れて行くように聴くことができます。
 5曲目の“紙吹雪”という曲は,最初の谷山浩子の語りもネガティブなんですが,歌詞も思いっきりネガティブで,ここまで振り切れていると感動してしまいますです。叩きつけるように「つまらない女だと活字の文字が,私の顔も見ずにバカにする。うすっぺらな本の中で,誰もがよくて,おまえだけだめと。」だなんて,「うすっぺらな本」を「SNS」に変えれば,今でも状況は変わっていないのではないかと。最後の「いい歌もいい本もいいやさしさも,まとめてあたしのこの部屋の中じゃ,嫌われ役,かたき役。いい気味だ,いい人なんか,みんな死んじまえ。」罵倒とも思える唄は,個人的には非常に素晴らしいと思いますです。
 6曲目の“陽だまりの少女”という曲は,チェンバロで3曲目のメロディーを弾いた後,重ためのピアノで始まり,これまた重ための谷山浩子の唄で始まるのですが,えぇ,暗闇でうごめいている女の娘が明るい場所で暮らしている少女に対する恨みとしか思えない歌詞は,本当にドロドロしまくっていますです。ラストの「おまえはいつも何も知らない。心の奥の深い暗闇も。風に光りに守られながら。しあわせ少し,涙少しだけ。」と唄った後,「こわれてしまえ,こわれてしまえ。」と悲痛なシャウトをするのですが,ここまで負のパワーを投入されると,普通はドン引きなんですけど,いいんです。谷山浩子なんですから。そしてエンディングがフェイドアウトしていくのに合わせて,「雨が上がったようです。いつの間にか朝になってしまいました。カーテンの隙間から陽の光が漏れてきます。これからあたし,表に出てみようと思います。どこかであなたに会えるかもしれません。会えないかもしれないけどいいんです。それじゃあ,これで。つまらない手紙に付き合ってくれて,ありがとう,さようなら。」という少し明るくなった声の語りで終わります。そういう意味ではA面は全て谷山浩子からの手紙という構成なんですよねぇ。こういう手紙を本当にもらったら困るような気がしないでもないですが。
 7曲目の“もみの木”という曲は,開き戸か窓をガラガラと開ける音で始まり,鳥のさえずりに,女声コーラスが重なり,荘厳な雰囲気の中,谷山浩子がピアノ1本で唄い始めるのですが,なんなんでしょうかね,唄の対象が人間でないと,こんなに優しい気持ちになれるんですね。でも,この唄の拡がり感は凄い好きなんですよね。目の前に青い空ともみの木がパァっと拡がる感じで。ちなみに若かりし頃,「もみの木〜♪」という部分を「もみもみ〜♪」と唄っていたのは,若さ故の過ちということで。
 8曲目の“風の子供”という曲は,「子供」という言葉はあるものの,これまた対象は人間ではなく多分,自然なんだろうと思っていますです。谷山浩子にしては,珍しくアコースティックギターアルペジオで始まる曲なんですが,あまりフォーキーな感じではなく,少しみんなのうた成分が入っているのはないかと思うのですが,これまた河原の草むらで寝転がりながら聴くと気持ち良いなぁと思ってしまいましたです。
 9曲目の“テングサの歌”という曲は,初期谷山浩子マニアの皆様のヒット曲で,ショートディレイのかかったピアノに,レゲエの裏カッティングを決めるエレクトリックギターの音が,珍しくダンサブルな曲です。「紀勢本線,各駅停車,南部の次の岩代駅の」と唄い始めるのですが,なんと主役はホームのベンチの上に置かれているテングサなんですけど,歌詞の内容からすると,なぜか人類が破滅してしまった後の地球で,なぜか岩代駅のホームのベンチにあるテングサが物思いにふけっているという,メルヘンというかSFというか,まぁ,マニアウケするポイントが満載でございます。えぇ,もちろん私も好きな曲でございます。
 10曲目の“イーハトーヴの魔法の歌”という曲は,タイトルからも分かるとおり,宮沢賢治の世界観でイメージした東北(というか雪国?)の唄で,キーボードのフワフワした音をメインにして,少し優しい感じの谷山浩子の声と男声コーラスで「雪の中こんなに静かな夜は。イーハトーヴの魔法の歌がほら本当に聴こえてきます。」と唄われると,こっちも優しい気持ちになってしまいますです。
 ラストナンバーの“風を追いかけて“という曲は,さすがシングルカットされただけあって,イントロのアコースティックギターのソロの音からして,いかにもシングルカット向きという感じなのですが,そこは谷山浩子,唄が始まってしまうと,いきなりダウナーなメロディーで,救いようのない感情を唄っているんだもんなぁ。これではメジャーになれませんですよ。でも,いいんです谷山浩子が「ああ,誰もわからない,誰もわからない,夢が砕けた悲しみは。ああ風が唄うだけ,風が唄うだけ,立ちつくす私のそばで。」と唄うだけで,私のように救われたような気になる人間も少なからずいるんでしょうから。
 谷山浩子の初期の初期としては,私としてはこの“夢半球”までで,次のアルバムからホップ・ステップ・ジャンプという感じで,“たんぽぽサラダ”で花開くと思っています。もちろん異論はあると思いますが,まぁ,見ている人の少ないこんなブログでの戯言ですので,聞き流してもらえれば結構でございます。

 冴えないと言えば,私が自宅で愛用しているセルフレームのメガネなんですが,過去2回のクラッシュにも堪え,頑張ってきてくれていたのですが,月曜日の朝,あまりにもフレームのヒンジ部分のネジが緩いので,締めているとパキっという音と共にネジをねじ切ってしまいましたです。う〜ん,次の土曜日に修理に持って行けばいいかというわけで,とりあえず自己融着テープでネジが落ちないようにして,今日の午前中,メガネ屋に持って行ったのですが,直らないことはないけれど,ちょっと時間をいただくことになるとのことでした。正直,ヒンジ部分のネジがきちんと締まらないのでそろそろ限界かなかというわけで,新しいフレームを買うことにしましたです。こうなれば岡村ちゃんのようなフレームにしようかなぁと思って,それっぽいフレームをかけてみたのですが,う〜ん,似合わない。というわけで,岡村ちゃんっぽいフレームは諦めて,別のフレームを探していたところ,黒っぽいんだけど,所々少し透けていてガラが入っているようなフレームがあったので,これがいいなと思って手に取ってみると,2600円ぐらいでした。安くなったよね,メガネのフレームと思いつつ,店員さんにこのフレームにレンズをそのまま付けることができるか確認したところ,付けることは可能で,明日の午前中にはできあがりますということでしたので,明日の午前中に取りに行って,午後からは新しいメガネで走りに行きたいなと思っていますです。前のフレームよりも細くなっているので,ヘルメットを被ってどんな感じになるか楽しみですが,まぁ,そんなに大した顔ではないので,気にすることもないかなぁと思ってしまいましたです。
 しかし,店員さんいわく,前回のフレーム(匠 角矢甚治郎作)を買ったのが丁度5年前ですねということなので,2回フレームを壊しつつ5年も使えば,そろそろ限界だったんでしょうねということで,今度はフレームを壊さないようにしないといけないなぁと思ってしまいましたです。