この間の日曜日は上の子供が受験の関係で長々と習っていたエレクトーン教室を退会するということで,最後の発表会なるものを見に行ったのですが,降水確率が午後6時からは40パーセントということだったので,心置きなく発表会を見に行かせてもらいましたです。発表会ということでどんな感じなのかなぁと思っていたら,エレクトーンだけでなく,そこの教室で習っている方々が玉石混淆という感じで,サックスの人もいれば,バイオリンの人も,またピアノでオリジナル曲を弾き語りをする人がいて,なんか微笑ましい感じでございました。というか,どう聴いても,人前で演るレベルではないよなぁという方もチラホラいたのですが,まぁ金を払って出る発表会なので,こんなもんなんだろうなぁと思ってしまいましたです。我が子の演奏はエレクトーンとピアノのアンサンブルということで,まあまあ弾けていたのではないかい?という感じ(というか,エレクトーンって,どこまで自分で弾いていて,どこまでがプログラミングなのかよく分からないんですよねぇ。)で,まぁ有終の美を飾れたのではないかと。で,プログラムを斜め読みしていると,子供が午後の部に出たのですが,午前中の部にはギターの弾き語りでアリスのチャンピオンをやった方がいたみたいで,う〜ん,40の手習い?というか,モーリス持てばスーパースターも夢じゃない世代なのかなぁと思ってしまいましたが,アリスのチャンピオンを弾き語るのに,お金を出して習わないといけなかったレベルだったっけ?と思いつつも,まぁ本人が良いのであればそれでよしということで。
気象庁の予報では,明日は最高気温10度で降水確率10パーセントということなので,プレトレでゴリゴリと走りに行くしかないよねぇと思っていますです。
さて,話は変わって,今回で最後となる岡村靖幸のDVD BOX“20世紀と伝説と青春”なのですが,最後に紹介させていただくのはブックレットでタイトルはズバリ“20世紀と伝説と青春”でございます。
まず最初はDVD BOXにちなんで,カーネーションの直枝政広が“20世紀から届いたロングシュート”と題た文を書いているのですが,ハッキリ言って岡村ちゃんのファンならばほぼ同意できる内容だと思いますが,最後に「空の上を数え切れない感傷がが交差しながら夜は明けてゆく。たまに岡村靖幸は物音に目を醒ます野ウサギのような目をする時がある。」という言葉で締めくくられるのですが,私的にはこの部分はう〜ん,そうだっけ?と思ってしまいましたが,まぁ,そこは人ぞれぞれということで。
次はDisc 1のLoveφSex'88 DATEにちなんで,NONA REEVESの西寺郷太が“『LoveφSex'88 DATE』と「岡村靖幸」に関する一考察”と題した文を書いているのですが,流石ミュージシャンと思わせてくれる,音楽的な視点から,DVDから読み取れる岡村ちゃんをきっちりと書いてくれています。中でも「岡村さんを語るときにプリンスを引き合いに出す人は,じつはプリンスをきちんと聴いていないんじゃないかと思うに至っています。」ということで,音楽自体はプリンスタイプではなく,ジョン・レノンタイプではないかと書いているのですが,私もプリンスの意匠は確かに使っているところがあるけれど,あのいつ聴いてもガツンくる音楽はジョン・レノンタイプなんだろうなぁと思ってしまいましたです。締めに「決して人と同じような服を着て,同じような作法でまとめることがロックなのではない。僕はこの1988年のライヴの荒削りな「23歳の岡村靖幸」の姿から,全身全霊で自分自身と音楽を表現する純然たるロックスターの真髄を感じるんです。」と書いているのですが,激しく同意させていただきますです。
次はDisc 2のPeach Show'89”にちなんで,Base Ball Baarの小出祐介が“僕が男の子であることを思い出させる岡村靖幸の世界観”と題した文を書いているのですが,小出祐介自体は後追い世代なんですけど,しっかりと岡村ちゃんへの愛を感じましたです。しかし「(バブルの時期だったので)この時代はいろんな所に使えるお金が沢山あったんだなぁと(笑)これもまたすごく羨ましい部分でもあります。」とあるのは,そんなことはないのではないかと思ってしまいましたです。今でも評価されて,きちんと売り上げが出ていれば,この程度のステージはできるんだろうと思うんですけどね。確かに売り上げが芳しくない時代なので,難しいのだろうとは思うのですが,時代のせいにするのは潔くないのではないかと。まぁ,そんなことはさておき,「岡村さんの楽曲には,今で言うところの「厨二感」とも違う,「男の子感」がぎっしり詰まっていて,それgs,当時から今までいっかんしている世界観の柱,背骨だと思うんです。岡村さんが歌っているようなそんな純真が,きっと,岡村さんの音楽,岡村さんのご自身の根底にあって。だからこそ大いに悩んで,苦闘するんだと思うし,そんな姿に音楽家としての正直で誠実な魂を感じます。」という締めの文章には激しく同意させていただきましたです。
次はDisc 3のLIVE 家庭教師'91にちなんで音楽評論家の湯浅学が“欲望のゆくえ,肉体の悪魔と遊ぶ”と題した文を書いているのですが,流石評論家らしい硬い文章なのですが,ミュージシャンの柔らかい文章が2つ続いた後なので,この硬さが逆に心地よかったりするのですが。 文章の前半部分はこの頃に亡くなった方を列挙しているのですが,本当,時代を作った方々が亡くなったという意味では、本当,凄い時代だったんだなぁと改めて思ってしまいましたです。で,筆者が初めて岡村ちゃんのライヴを見た感想が「1枚以外あとすべてのカードがババのトランプでそのババ以外の1枚がどうしても見たいのに絶対見せてもらえない。そんなことを思った。」とあるのですが,なんとなく分かるなぁと思ってしまいましたです。で,LIVE 家庭教師'91については,「この男が人間のどうしようもないおもしろさをソリッドに踊りながら音楽にしてしまうからなのだ。いったい全体この“家庭教師”になにを教わりたいのだ人類は。」と評しているのですが,これも激しく同意だなぁ。でも教えてもらうのではなくて,感じるだけなんですけどね,私的には。
次はDisc 4のファンシーゲリラVIDEO SHOP'92にちなんで,音楽雑誌編集者(でいいのか?)の鹿野淳が“『家庭教師以降,「禁じられた生きがい」以前,岡村靖幸の転換期,1992年”と題した文を書いているのですが,家庭教師後の悩める岡村ちゃんことを書いているのですが,ブルセラ,援交,ヘアヌード写真集と,岡村ちゃん的なエロスとは真逆な方向へ世間が向かってしまったことが一番大きいんだろうなぁと私的には思っていますです。今の岡村ちゃんがどんな言葉を紡ぎ出すのか期待してはいるのですが,煮詰まってしまうよりコンスタントに活動してくれた方がありがたいですしね。
次はDisc 5のPeaceどんなことしてほしいのぼくににちなんで,AV監督のカンパニー松尾が“2012年,『Peachどんなことしてほしいのぼくに』を観る”と題した文を書いているのですが,これが凄い,岡村ちゃんのファンだけど,ライヴに行ったことがないと公言しつつも,映画自体については「生まれや環境は違えど同じ時代を生き,同じ空気感を味わった者としてこの映画を今,見た時の恥ずかしさ,気まずさはスゴい。凍り付くし、笑えない・・・若さ故の過ち,勘違い,空走感をこんなにマジマジ見せられると思わなかった。」と評しているのですが,個人的には激しく同意です。特に「若さ故の過ち,勘違い,空走感」については,この映画では全開に表現(というよりも,岡村ちゃんの音楽は,常にこの要素が入っていると思いますけど。)されていると思いますです。
次はDisc 6のStoriesにちなんで,音楽ライターの森田恭子が“作品としての「岡村靖幸」を仕上げたビデオクリップの魅力”と題した文を書いているのですが,私的にはふ〜んという感じだったので,この程度で。
次はDisc 7のドキッ!!世紀の未発表映像集にちなんで,エディターの佐野郷子が“EPICイヤーズの秘蔵映像に込められた岡村靖幸の想い。”という文を書いているのですが,シミジミとこのDVD BOXを振り返ったという感じで,少し切ない感じがしますです。特に最後の「ビデオクリップ,ライヴ映像,映画,坂西伊作氏と岡村靖幸が共に全力で疾走したかけがえのないEPICイヤーズの最後に,岡村からのメッセージが込められているように思える。『このDVD作品集は,僕の作品だけでなく,坂西伊作の作品集でもある。』と。」いう締めくくりは,なんかジンと来てしまいましたですね。また“EPICソニー,歴代スタッフが語る20世紀の岡村靖幸”という座談会があるのですが,これも中々面白かったです。特に「岡村はライヴで人一倍伝える力を持っているから,今後もステージに立ってメッセージを送ってほしいですね。弾き語りでも十分成り立つ人だし,彼一流のパフォーマンスの魅力は時代を超越するはずですよ。」と一部で有名な阿久津真一ディレクターの発言がありますが,本当にそのとおりだと思いましたです。
あとは非売品カタログとか年表があったりするのですが,これは省略するとして,最後に元EPICソニーのプロデューサーである小坂洋二が“岡村靖幸VSスーパーマリオ”というタイトルで後書きを書いているのですが,これが素晴らしすぎるので引用させてもらいます。「そんな時代の若者たちの閉塞感とやり場のない苛立ちの日々を言葉として詩として作ったアルバムが『家庭教師』でした。彼はそれまでの日本の音楽には存在しなかった,時代の風俗を敏感な批評意識と屈折した諦観とある種残酷なユーモアで描きました。その作品群の人間関係は希薄で,本当の絆が結ばれることへの情景で満ちあふれています。それは社会に対する反抗のエネルギーが向けられる的を見失い,倦怠感とシラケとしてのさまよう浅春群像として,共感を持って支持されました。」「これからもこの時代の中流意識や体制的な社会に,また情報の氾濫の中に,彼の音楽はひとりぼっちの叛乱のように小さな爆弾をしかけていくでしょう。」本当,そのとおりだと思いますです。
約2か月にわたって書いてきた20世紀の伝説と青春もこれで終わりです。1月から書き始めましたが,もう2月も終わりだなぁという感じですが,3月になればLIVE TOUR 2013「むこうみずでいじらしくて」がスタートするので,岡村ちゃんがどんな顔を見せてくれるのか楽しみですし,またお布施としてツアーグッズも買いたいなぁと思っていますです。とりあえずは今回のツアーは岡村ちゃんTシャツを着て,岡村ちゃんトートバッグを持って参戦することは自分で決めているんですけどね。
今週は上の子供がインフルエンザになってしまったものの,とても仕事が休めるような状態ではなかったので,うつされたら困るなぁと思っていたのですが,なんとかうつることなく乗り切らせていただきましたです。しかし,よく考えると,感染力の強かった新型インフルエンザのときは子供が2人ともかかったのに,私にはうつることがなかったので,きっと毎日アルコール消毒しているからではないかと思っていますです。
話は変わりますが,連赤マニアとしては,非常に興味のある番組が明日の夜中に放映されるので,サクっと録画予約させてもらいましたです。それは,NNNドキュメントという日本テレビが夜中に放送している番組なんですが,「狂気の正体 連合赤軍兵士 41年目の証言」と題して植垣康博が話をするというもので,番組サイトを見てみると,「2011年2月,連合赤軍事件の主犯,永田洋子死刑囚(65)が死んだ。獄中で何一つ心中を明かさなかった。連合赤軍に関する真実は何も明らかにされていないのだ。1972年のあさま山荘事件から40年が過ぎた今だからこそ,あの「狂気の正体」を突き止めることが出来る。植垣康博(64)。連合赤軍兵士だった彼は,仲間へのリンチや銀行強盗に参加。懲役20年の刑を終え,現在は静岡市でスナックを経営している。2005年には33歳年下の中国人留学生と結婚,一男を儲けた。全ては時の流れと共に封印されたかに見えた。しかし植垣は最近,連合赤軍時代についてのシンポジウムを行うなど,閉ざし続けた重い口を開き始めた。彼の心にどんな変化があったのか?40年の時に隠された“心の襞”に肉薄する。」てなことが書いてあったのですが,「最近,閉ざし続けた重い口を開き始めた。」というのにはなんだかなぁという感じですかねぇ。植垣康博は「兵士たちの連合赤軍」で書きたい放題に書いていると思うのですが。まぁ,テレビ屋さんなんてこんなもんさねと思いつつも,植垣康博が何を話すのか興味があるので,今晩放送される「突入せよ!「あさま山荘」事件」とまとめて酒でも飲みながら見ようかなぁと思っていますです。