ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

STREET KINGDOM〜東京ロッカーズと80'sインディーズシーン(本)/地引雄一


 いや〜しかし,日本全国梅雨まっただ中ですねぇ。雨が降ると徒歩通勤になってしまう私は,仕事に行くだけで下半身ずぶ濡れ状態になってしまうので,本当,嫌な季節なんですが。しかもムシムシジメジメだしなぁ。というわけで,私のブログは基本的に土曜日(午前中は家の掃除をして午後にネタ書き)にアップしていましたが,梅雨の間は自転車に乗る時間を捻出するために,土日で雨の降らない日は走りに行きたいので,雨の降らない日にアップすることにさせていただきますです。とはいえ,夜勤や休日出勤,業務外業務が続いていたのがやっと終わって,やれやっと走りに行けるか!と思ったら,梅雨だもんなぁ,本当,うまくいかないいものですね。しかも,大体,梅雨入りすると雨が降らないっていうのが定番だったのに,今年は梅雨入りしたらきちんきちんと天気予報が雨マークの連続だもんなぁ。雨が降らなくて水不足になるのも困るけど,こんなに毎日降ると,ちょっと気が滅入ってしまいますです。わがままな希望としては,平日は降っても良いので,終末は1日は晴れて(曇りでもいいので)くれればなぁと思っていますが,こればかりは天気次第なのでどうにもならないか・・・というわけで,この間の日曜日は髪を切りに行ったのですが,帰ってからちょっともみあげをもう少し短くしておこうとイソイソと作業をしていたら,あぁ〜短くしすぎてしまった・・・明日から仕事なのにどうしたもんかいなと思いつつ,涙目でめがねをかけると,あら不思議,めがねのフレームが太いので,短くしたのが隠れてしまったです。仕事用のめがねもフレームが太いものに変わったので,こっちも問題なしということで,ただいま,めがねのフレームの下は絶賛,養毛中でございます。ほぼ1週間ですが,もう少しだなぁという感じですので,もうしばらくの辛抱だと思っていますです。今回の敗因はカミソリの刃がもう切れなくなっているのに,構わず作業をしたことが原因だと思っていますので,次はもう少し切れる刃のときに作業をすることにしましょうかね。

 ここ最近は,CDばかり紹介していましたが,今回はちょっと毛色を変えて地引雄一(以下,尊敬の念を込めて「地引雄一さん」と表記しますです。)の“STREET KINGDOM〜東京ロッカーズと80'sインディーズシーン”という本を紹介したいと思いますです。この本はサブタイトルからも分かるとおり,その当時の音楽シーンを現場の視点から描いた,その当時の現場にいなかった人間にとっては非常に資料的価値の高い本になっています。しかも,当時のライヴ映像を納めたDVD付きということで,このDVDの内容も素晴らしいので,本とDVDは分けて紹介したいと思いますです。私が地引雄一さんの名前を意識するようになったのは,宝島で地引雄一さんが1ページ程度の自主制作盤の紹介ページを持っていた(宮部智彦さんだったかもしれない・・・)のを読んで,この人がインディーズの老舗だのインディーズの良心と呼ばれるテレグラフレコードの人なんだぁと思っていたのですが,その当時はなかなか地方都市ではテレグラフレコードのレコードを入手するのは困難で,結局,私が最初にテレグラフレコードのレコードを手に入れることができたのは,高校の修学旅行先が東京だったので,渋谷109(だったと思う。遠い記憶なもので。)に入っていたディスクユニオンで買ったチャンスオペレーションのカセット(というか,ディストリビュートをテレグラフレコードがやっていたみたいですね。)だったことを思い出してしまいました。
 まぁ,私の昔話はさておいて,本の紹介に入りたいと思うのですが,この本は総ページ数334ページのうち,最初の117ページが当時の写真で,最後の30ページに当時のポスター等の資料が掲載されており,読んで非常に楽しめるとともに資料的な価値も高いなぁと思ってしまいましたです。
 目次をめくると,いきなりリザードのワカがこちらをにらみつけている写真から始まり,初期の東京ロッカーズの面々,PASSレーベルの面々,吉祥寺マイナー関連,THE STALIN,非常階段,E.D.P.S(ツネマツマサトシがメチャカッコイイ!),テレグラフレコードのアーティスト,ハードコア絡みなどなど,当時の現場にいた人でしか撮れない写真が満載で,非常に楽しませてもらいました。というか,皆,カッコイインですよねえ,なんかギラギラしていて。
 第1章は東京ロッカーズ前夜からテレグラフレコードを作る前までの話なんですが,私は地引雄一さんって,てっきり音楽関係の人だとばかり思っていたら,本職はカメラマンのようで,単にパンクロックが好きで,つきあい始めたらズブズブと・・・っていうことのようなのですが,それでここまでできるというのは,凄いなぁと思ってしまいました。しかし,東京ロッカーズの話の中で感動したのは「かつてのカウンターカルチャーの時代には,現代文明への嫌悪によってヒッピー的な自然への回帰が希求され,社会への批判は革命の夢見させた。ここより他の場所を求めていたのだった。しかし,大きな挫折を経た私達は,今を生きている以上,現実の社会から切り離されて存在することは不可能であることを知った。善し悪しの判断は別として,まず私達を取り巻く現代文明社会の現実を直視して,それと対峙して生きてゆかなくてはならないのだ。都市が私達の生きる場である。その現実を受け入れることから全てが始まる。東京ロッカーズが東京という街を強く意識しているのも,自分達の生活の場としての1ローカルである東京を見据え,その現実の中で生き抜いていこうという決意の表れなのだ。」というところでしょうか。パンタがPANTA&HALの時に東京ナンバー1ローカルバンドと自ら名乗っていましたし,このころはそういう感じだったのかなぁと思ってしまいました。第一章は最後に東京ロッカーズの看板バンドであったリザードフリクションを詳細に紹介して終わります。
 第2章は,テレグラフレコードの発足からテレグラフレコードの終演までを描いているのですが,こうやってまとめて読んでみると,テレグラフレコードって本当に凄いレーベルだったんだなぁと思ってしまいましたです。同時期に活動していたTHE STALINの話なんて非常に興味深かったです。特に「スターリンというネーミングや,シニカルで攻撃的な歌詞に表れた社会性は単なる反体制をとなえるものではなく,秩序的存在としての人間そのものを解体することを目論んでいるようだ。そこには破滅を内包した呪われた生の本性が引き出される。汚濁の中で一種の恍惚感に浸されたライブ会場は,生の暴力により浄化された聖なる空間へと化している。」という短い解説は,THE STALINのことを的確に言い表しているなぁと思いましたです。しかし,ここで面白いというか分からなくもないなぁと思ったのが,初期パンクで音楽に没入し,テレグラフレコードまで立ち上げた地引雄一さんがパンクとは遠くかけ離れたアコースティックでうたを大事にしたすきすきスイッチやくじらに興味が向いてしまうというところでした。個人的にはパンクを聴きながら,アコギ1本(とリズムボックス)で唄っていた私も,ハードなリズムを叩き出す(基本,コードカッティングでしたので。)こともあれば,叙情的なメロディを唄ってみることもあるけれど,その根底には自分の欲する唄を唄うという想いが常にあったように思いますです。そういった意味でも地引雄一が「ハードなパンクから始まった僕のロック遍歴は,生身の肉声の持つ力へと行き着いてしまった。」と書いていることについては,激しく同意しますです。遠藤ミチロウも当時,「THE STALINは肉声の復権だ。」と対談か何かで言っていましたしね。
 第3章は,ハードコアパンクからインディーズブームまでを描いているのですが,ハードコアパンクの話の流れでタムのADKレコードが触れられていたり,ハードコアパンクと平行して,オートモッドが時の葬列・終末の予感と題したシリーズギグのことが触れられ,ここまではなんとか自主制作盤という言葉が生きていたと思うのですが,いわゆるインディーズブームによって,自主制作盤に資本が投入され,単なる大手メジャーレーベルではないレコード会社になり,UKエジソン等大手レコード店自主制作盤を大きく取り扱うなど(しかし,その反面,このおかげで地方都市でも自主制作盤が容易に手に入れられるようになったというメリットは大きいです。もちろん,今であればネット通販があるので,ダイレクトに制作者から買うことができますが,そのころはそんなシステムは存在していなかった。),自主制作盤という言葉が死滅してしまった時代を淡々と描いています。しかし,たった8年間で東京ロッカーズからインディーズブームという訳の分からない世界まで拡がってしまった感じはありますが,8年間,裏方の立場からバンドを,シーンを見続け,作り上げてきた地引雄一さんの言葉には,やはり重みがあると思わされましたです。
 そして,1986年度オリジナル版のあとがきがきて,追章「それからの二十二年」と題して,2008年の新版までの間を振り返っているのですが,その間のバンドブームを横目で見ながら,江戸アケミの死など,同世代のロッカーの死によってひとつの時代が終わり,地引雄一さんはロックに対する熱意が既に消えかけていたと記していますが,その当時は正に,商売としてバンドでロケンロールのようなものをやっているバンドばかりで,真摯にロケンロールとは?と考えているバンドは少なかったと思いますし,その当時やっていたバンドで今の残っているバンド(別にメジャーじゃなくても構わない。)がほとんど残っていないことからも明らかだとは思うんですけどね。しかし,そのまとめで地引雄一さんが「オリジナル版を読み返してみたら,終わりの方に「30代を過ぎてなおロック・ミュージシャンとして新たな活動を展開してゆくというのは並大抵のことではないだろう」という文章があって,ちょっと笑ってしまった。今から見れば30代というのは,まだまだ若い。それから22年,今や東京ロッカーズの頃から活動を続ける多くのミュージシャンが50代半ばに達している。それでも,彼等のほとんどが何らかの形で音楽表現にかかわっているのだ。それは凄いことだ。22年前にこの本を書いた時には,想像もしていなかった。」とまとめているのですが,やはり志を持って,オリジネイターとしてやってきたバンドは,その後の皆さんとは違うということなんだろうなぁ(もちろん,東京ロッカーズ以降のバンドでも志を持って始め,今もやり続けているバンドはありますが,バンドブームということで,あれだけバンドが出てきたのに,ほとんど残っていないのはどういうことなんだと?)と思いましたです。最後に「すべてが始まり,全てがそこにあったあの東京ロッカーズの時代を,機会がある限り伝え続けてゆきたいと思っている。」とまとめているのですが,まさにバンドメンバーではなく,周辺で客観的にあの時代を作り出した地引雄一さんには,これからも語ってもらったり,あのころの埋もれていた音源や映像を発表してもらえればなぁ(できれば,ケース・オブ・テレグラフなんかの再販とか。)と思っていますです。
 そして,巻末にオマケとして「パンクアート・ギャラリー」として,当時のポスターやチラシ等が掲載されているのですが,DRIVE TO'80関係のパンフレットを見て秀逸だなぁと思ったり,テレグラフレコードの広告を見て,あぁこれ宝島で見たなぁと思ったり(買えなかったけどね。)しましたが,一番懐かしいなぁと思ったのは,バックのデザインに文字をタイプしたものを貼り付けてモノクロコピーしているチラシとかですかね。というのも,当時は当然パソコンなんてなくて,日本語ワードプロセッサが出てきた頃で,私も自主制作カセットのジャケット制作のために,1時間200円で使わせてもらえる日本語ワードプロセッサでタイトルとかを打って(仕事に就いてからは自前で買いましたけど。),絵とか写真に貼り付けて作ったよなぁということを思い出してしまいましたです。今なら画像をパソコンに取り込んで,文字を配置して,フルカラーで自宅で印刷できるので,非常に楽だし,自由度が高かったのですが,昔はそもそも今の乾式コピーそのものがそんなにない時代だったので,コピー代も高かったので,非常に大事に作っていたよなぁと思い出してしまいましたです。あぁ,私のそんな80年代を思い出してしまいましたですね。

 さて,今日ブログをアップしているということは,昨日はシコシコと走ってきましたです。というのも,昨日は梅雨の中休みで,曇りのち時々晴れというナイスな予報で,これを逃がすわけにはいかない,バーエンドバーを付けての初ロングライドを試すしかあるまい!ということで,峠あり,帰りは逆風吹かれまくりの80キロコースを走ってきましたです(正確には4時間で85キロでしたけど。)。さて,バーエンドバーの効果ですが,やはり坂道に対してはもの凄く効果がありましたね。コースの途中に結構厳しい峠があって,これまでは2速か1速まで落とさないととてもじゃないけど超えられなかった峠が,なんときつきつではありますが4速で超えられたんですね。これは凄いぞ!と思いつつ,これなら帰りの向かい風もどうか?と思ったのですが,向かい風は前傾姿勢になるので,少しは楽かなぁという程度にしか感じなかったですね。やはり自転車の大敵は風だなぁと思ってしまったです。しかし,今回,新たに威力を発揮したのが,ホムセン手袋改造グローブでした。というのもこの時期,手にも汗をかくわけで,バーエンドバーはアルミのバーなので,滑り止め効果のあるグローブがなければ手が滑って非常に危ないので,グローブがあって正解でした。しかし,1つ問題があって,バーエンドバーに掌を置いて乗っていると,さすがにクッション性がグローブにないので(380円の作業用手袋にそんなことを求めるなって感じですけど。),ちょっと掌が痛くなってしまいましたですね。う〜ん,やっぱり自転車用のきちんとパッドの入ったグローブを買った方がいいのかしら?と思いつつ,こうなりゃ,ホムセンにパッド代わりになるものがあったら自分で縫いつけてみるか?などと,またもやDo It Myselfな発想が頭をもたげていますです。これで失敗したらグローブを買おうかなぁとは思っていますけど。
 反省点としましては,峠を4速のままで越えられたとはいえ,足への負担は結構あったようで,途中で足がつりそうになったり,帰りは足がかなり疲労してしまったので,今回は限界を探るためにとことん走ってみましたが,次回からはもう少し楽なギアでクルクル回して走るようにしないといけないなぁと思ってしまいましたです。もう,若くないので膝を壊したら乗れなくなっちゃうしね。