ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

「あさま山荘」籠城 無期懲役囚吉野雅邦ノート/大泉康雄


 ここのところ,気温が上がったり下がったりで鼻炎が絶不調でございます。朝昼と鼻炎止めを飲んで,一応漢方系の眠くならない奴を1回3錠飲むところを2錠に減量して,効果が出るギリギリの量でやってはいるものの,やはり体が重とうございます。頭もボーッとしてるしな。それから,鼻水が出るということは体内の水分が余分に体外に出ている訳で,飲み物がやたらとおいしゅうございます。今は懐かしのUCC COFFEEのレギュラー缶を飲み飲みキーボードに向かっていますです。頭がボーッとしていると言えば,お世話になった人の送別会をしてあげようと日程を確認したところ,「来週の木金なら空いている」とメールをもらったので日程調整をして再度,その人のメールを見直したところ,なんと「来週の木金以外なら空いている」と全く逆のことが書いてあることに気づいてしまいましたです,やばい。早やかに再度電話を掛けて確認をしておかないと大変なことになるよなぁ・・・困ったもんだ。と思っていたら,確認待ちの人から電話が掛かってきて訂正したので,ついでに他の人にも速攻で訂正しておきましたです。よかった,よかった。

 というわけで,前回までは坂口弘の「あさま山荘1972」を紹介していましたが,連赤本関係のラストとして大泉康雄の「「あさま山荘」籠城 無期懲役囚吉野雅邦ノート」を紹介したいと思います。この本が今まで紹介した本と違うのは,これまでの本は事件の当事者が直接書いたものですが,この本は吉野政邦の古くからの親友であり雑誌編集者であった筆者が吉野雅邦との思い出から連赤の思想を通さない当時の社会情勢,そして,植垣康博の本にも坂口弘の本にも写真が一切なかった(まぁ,本人が獄中に居たときに出版した本だから仕方ないといえば仕方ないんでしょうけど。)のですが,この本では結構,連赤当事者の当時の写真が掲載されていて,連赤マニアにとっては良い資料になるのではないかと思ったりします。それから,連赤本は彩流社というやっぱりそれ系の出版社から発行されていることが多いので,なかなか一般書店には並んでいないですが,この本は祥伝社文庫から出版されているので,比較的入手もしやすいのではないかと思います(とはいえ,アマゾンで買えば,絶版になっていなければ,たいていの本は買えるんですけどね。)。
 さて,この本は序章の「僕ってどんな人間?」から始まるのですが,まず千葉刑務所のあさまさんの話から始まります。あさまさんは現在,高齢者の用語工場で計算夫をしており,この人こそが吉野雅邦なんですけど,その次にいきなり,羽田闘争(火炎瓶を持ってジェット機を停止させた奴です。)に関する刑事事件で保釈になった出所パーティーの様子が描かれており,本当に当たり前の,当時の若者という感じなんですよね。特に吉野雅邦と金子みちよの2人の行動が。そして,断片的に話は進み,筆者と吉野雅邦が手紙をやりとりする中で,筆者に対して吉野雅邦が「僕ってどんな人間?」と疑問を投げかけるところで序章は終わります。
 第1章は「麹町小学校から駿台予備学校まで」とされ,普通のというよりもやや裕福な(まぁ,あの当時,大学に行けるっていうことは結構裕福なんですけどね。)小学校から予備校までの日々が描かれているのですが,その中で特筆すべきものは中学時代の同級生が自殺したエピソードで,このことに対して吉野雅邦が「人は真剣に真摯に生きようとすれば自殺以外にはない。」と破滅的な発言をしていたことですかね。後の人間性を喪失し,組織の一部として生きることの萌芽がこのときにあったのではないかと私は思いますです。
 第2章は「横浜国立大学入学から革命左派加入まで」という,吉野雅邦の人生のターニングポイントとなるトピックスが描かれています。佐世保エンタープライズ闘争から中核派へ吉野雅邦は加入した後,少年鑑別所への収容を経て,活動を停止し,金子みちよとの関係が一気に深まっていき,交換日記(あぁ,青春・・・)を始めるのですが,その内容がいいんですよねぇ,本当,青い春っていう感じで。この点については,買ってゆっくり読んでもらったほうが良いと思いますので,書きませんけど。
 第3章は「羽田突入事件から保釈まで」で,いよいよ革命左派の吉野雅邦としての活動が中心になってきます。ここでも金子みちよの吉野雅邦への真っ直ぐな愛が伺えるんですよね。というのも,金子みちよが革命左派に入ったのは,吉野雅邦が羽田闘争で逮捕され,その救援活動をするためなんですよね,あくまでも。で,この本ではレッドで描かれた羽田闘争に関する勾留理由開示での退廷命令の下りが詳しく書いてあり,ここに掲載されている永田洋子のミニラのような顔をした写真と筆者の印象である「このとき永田洋子が見せた生理的憎悪をこめた一連の言動は,鮮烈な記憶として,後々まで残っていった。いわく言い難い深いの感情といってもよかった。」は多分,正解なんだろうと思います。
 第4章は「猟銃強奪事件から印旛沼事件まで」と,革命左派が極左冒険主義へと突っ走っていく過程が描かれています。ここで,印象的だったのが,山岳ベースで出産することの決意を筆者に話した金子みちよが「わたしたちのしていること,どう思う?バカげていることではないから・・・」と言うところがあるのですが,金子みちよの背中を筆者が何らかの形で後押しできていれば,少なくとも彼女が亡くなることはなかったのではないかと思いましたが,吉野雅邦が革命左派にどっぷり浸かっている以上,それはあり得ない話だったのか。
 第5章は「あさま山荘事件から森恒夫自死まで」で,あさま山荘事件後の逮捕から自供までが主に描かれていて,当初完全黙秘を貫いていた連赤メンバーが自供するに至ったのは,皆,吉野雅邦と金子みちよの間の嬰児の遺体写真を見てということなので,革命的な大義名分よりも,人間的な何かの方が彼らの心の中に残っていたことに少しだけ安心したりしました(だからと言って,彼らのしたことは少しも免責されないのは当然ですけど。)。しかし,森恒夫の遺書の「強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり,変質したのである。」という言葉は赤軍派の革命左派のそして連赤の変質の本質なんだろうと思います。
 第6章は「統一公判復帰から再分裂まで」で,いったんは永田洋子坂口弘,坂東国男,植垣康博士の統一公判から分離されていた吉野雅邦が自身の希望により統一公判に復帰するものの,結果的には総括のスタンスの違いから吉野雅邦だけまた分離してしまうというところを描いています。しかし,ここで死刑マニアも少し入っている私的に面白かったのは大久保清(連続強姦殺人)とか永山則夫(連続強盗殺人)の拘置所内での生活がちょっと描かれているところですかね。
 第7章は「第一審・石丸判決から第二審・無期懲役確定まで」では,主に裁判資料(判決)を中心に描かれています。この中でも一番強烈なのは,坂口弘による永田洋子の描写で「露骨に言えば糞溜めのような人物である。」という悪意の固まりとしか思えないような描写がされています。しかし,永田洋子坂口弘にした仕打ちを考えれば,こういう考えに至るのもやむを得ないのではないかと思ったりもしますが,ここまで言わせるとは,本当に組織が崩壊していたんだなぁと思わざるを得ません。しかし,一審裁判長の吉野雅邦に対する説示が書かれているのですが,これが非常によい説示なので,全文引用させていただきます。「裁判所は法の名において生命を奪うようなことはしない。被告人自らその生命を絶つことも,神の支えた生命であるから許さない。被告人は生き続けて,その全存在をかけて罪を償ってほしい。君の金子みちよさんへの愛は真実のものであったと思う。そのことを見つめ続け,彼女と子供の冥福を祈り続けるように。」。素晴らしい,この説示だけでも十分に素晴らしいと思いますです。
 第8章は「千葉刑務所下獄から現在まで」で,千葉刑務所に入った吉野雅邦の生活が送られてきた手紙で読み取れる範囲で淡々と描かれています。あとは資料として吉野雅邦の年譜と石丸判決の抜粋(それでも57ページ)が付けられています。
 やはり,読んでみて,吉野雅邦は外見どおりの優しい人間だったのだなぁと思う反面,どこがどうなれば組織の為に人を殺すことも厭わない思考プロセスになるのかがよく分からないですね。やっぱり。でも,この本については,事件当事者が書いていないだけに客観的な資料に基づいて書かれているので,非常に好感が持てましたし,いわゆる左翼用語がちりばめられていないので,普通の人にも読みやすいのではないかと思いますです。

 しかし,もう3月だし,いい加減仕事用の靴を買い換えないといけないよなぁと思いつつ,まだまだと思っていたのですが,よく雨が降ったので靴でも乾かしておこうかしらと思い,靴を乾かしていたのですが,靴底の一部がもうすり減って剥げだしていることが判明しましたです。これから飲み会で靴を脱ぐ機会も増えるし,これはもう買い換えるしかないよなぁという訳で,このブログをアップし終わったら自転車に乗って買いに行ってきますです。私の好きなハイドロテックの靴があるといいなぁ・・・