ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

ねこの森には帰れない/谷山浩子


 しかし,今週もハードな1週間でしたね。日曜日に夜勤だったのですが,やっぱり案の定眠れなくて,月曜日はあんまり残業はしないで帰ろうと思っていたのですが,やっぱりそんなことにはならなくて,結局,木曜日の晩ご飯当番以外はきっちりお仕事をさせていただきましたです。火曜日ぐらいからしんどいなぁって思っていたのですが,そうは言っても仕事はあるし・・・という感じで。でもまぁ,何とか乗り切れたので良かった良かった。やっぱり少し(かなり?)涼しくなったので,朝までぐっすり眠れるのと,寝袋にだいぶ慣れたおかげかなぁなんて思っています。これで夜勤とか休日勤務は当分ないので,体をゆっくり休めましょうかね。

 で,先週までのMESCALINE DRIVEから打って変わって,今回は唐突に(まぁ,いつも唐突なんですけど。)谷山浩子のデビューアルバムの「ねこの森には帰れない」を紹介したいと思いますです。最近は谷山浩子をあまり聴くことはないのですが,実は高校時代は,もの凄くファンで,オールナイトニッポンの第二部(午前3時から5時までの放送)が入らない地域なんですけど,アンテナを工夫してノイズが入りまくりになりながら聴いていましたです。このアルバムはデビューアルバムなんですけど,実はこれの前に「静かでいいな」というアルバムが出ているのですが,これは本人も別の谷山浩子(だって15歳の時のアルバムだもんなぁ)のものだと再発時に言っていたような気がするので,私もあくまでも「ねこの森には帰れない」がデビューアルバムだという前提で書かせていただきます。しかし,このアルバムのオリジナルリリースは1977年なので,もう30年以上前のアルバムになってしまうのねぇ〜とちょっと感慨深く思ってみたりもします(そもそも,私が高校生っていうのも,もう20年以上前の話だしね。)。
 1曲目の“朝の扉をひらく時”は谷山浩子のちょっとくぐもった声で歌われる唄とピアノで静かに始まる曲で,ダイレクトなメッセージはないのですが,朝の薄ぼんやりとした風景を切り取って,唄にしてみましたっていう感じですかね。アルバムの1曲目としては,これから始まるよ・・・という感じが感じられる曲です。
 2曲目の“河のほとりに”なんですが,実はこの歌はもの凄い好きな唄で,最初の「河のほとりに,ふたり座れば」っていうメロディーラインが本当に良いんですよねぇ。ちょっと少女趣味的なラヴソングなんですけど,メロディーと歌詞が見事にマッチしていて本当にいい曲です。ボケーっと河のほとりを自転車で流しているときについ口ずさんでしまう曲ですね。最初に書いた歌詞について谷山浩子の昔の文章で「河は岸から見れば反対側が見通せるのに,上流と下流は見通すことのできない,私にとっては不思議な存在」ってあったのですが,こういう思考プロセスが,後のとんでもない曲に繋がるんだろうなぁなんて思ってしまったです。
 3曲目の“ねこの森には帰れない”は,初期谷山浩子の大ポップ曲ですね。イントロの高らかな鐘の音もポップですよねぇ。で,大ポップ曲なんですけど,歌詞はあんまりポップじゃないのな。「ねこの森には帰れない,なくした歌はうたえない」とか,この年になると,谷山浩子の想定とは別の意味で感じることもあるのですが,こういう歌詞ってポップじゃないよなぁと思いつつ,歌詞とメロディーのアンビバレンツなところが谷山浩子らしいと思ってみたりもします。
 4曲目の“私の愛した人“は,その後当分の間(1983年に「たんぽぽサラダ」が発売されるまでと思っています。)流通した“暗い”谷山浩子の出発点になるようなドロドロとしたラヴソングなんですが,曲中の台詞も“暗さ”を更に盛り上げていますです。うん,この曲については聴いてもらった方が分かりやすいと思いますので,コメントはこの程度にしたいと思いますが,暗いけれど良い曲ですよ。
 5曲目の“風を忘れて”はちょっと透明感のあるメロディーに私には理解できない谷山浩子らしい歌詞が歌われている曲です。サビの「あやまらないわ私,悪いことはしてない。気になんかしてないわ,だけどあなた風を忘れて」と唐突に歌われるのですが,「風」が何の隠喩なのか?曲の中に出てくる「あの子」なのか,それとも「私」なのか?多分,「私」なんだろうと思うのですが,あまりに歌詞が抽象的で私には分かりにくいんですよね。
 6曲目の“お早うございますの帽子屋さん”も谷山浩子的には結構有名な曲だと思うのですが,この曲も音として聴くと本当にいい曲なんですけど,歌詞だけ切り取ると不思議な曲なんですよねぇ。いきかり「誰だってみんな,やさしい人ばかり。だからお早うございますの帽子屋さん」って,だからってなんなんだよ?と思いつつ,この不条理感こそ谷山浩子ワールドなんだと割り切って,唄に身を委ねれば非常に心地よい曲になっています。
 7曲目からは,レコードではB面であまんきみこの童話(車のいろは空のいろ)を組曲形式にしたもので,確か小学生の頃の教科書で読んだよなぁと思いつつ,聴いていました。しかし,今もこの本は変わることなく売っていることをアマゾンで確認し,何とも言えない気持ちになってしまったですよ。で,まず,7曲目の“すずかけ通り三丁目”なんですけど,谷山浩子によって淡々を唄われるこの曲を聴いていると,本当に童話のあらすじを思い出してしまいましたです。そういう意味では凄いなぁと思ってしまいました。
 8曲目の“おさかなはあみの中”も本当に童話のあらすじが思い出されるのですが,海の中というか魚というか,なんかそういうイメージが曲やアレンジからも感じられる曲になっています。
 9曲目の“山猫おことわり”はちょっと切ないメロディーの曲なんですけど,この曲もいいですよねぇ。「川上先生どらねこで,どらねこが先生だったとして,なにがわるいことがあるのよ,なんにもわるいことはない。」とか,非日常をそのまんま受け入れて,それで何が悪いの?っていうその後の谷山浩子の視点は既にデビュー当時から脈々とあったことにちょっと驚きを感じたりもしました。
 10曲目の“くま紳士の身の上話”は童謡と演歌をミックスしたような非常にいわゆる和物なメロディーラインで唄われる曲なんですけど,この年になって思いっきり響く言葉あったりして,反則だよぉと思ったりもしました。「生きることだけ考えて,夢も,夢も捨てたよ。そうして,しあわせ手に入れた,人並みのしあわせを。」だなんて,本当に今聴くと思いっきり胸に染み入ってしまいましたです。
 ラストナンバーの“本日は雪天なり”は童話と同様に本当に夜なのにキラキラとした世界観を醸し出していて,B面をまとめ上げています。っていうか,このアルバムの構成は多分CDで聴いちゃ駄目なんだろうなぁ。面倒くさいけど,ターンテーブルの上に載せて,A面が終わったらひっくり返してB面にして,「車のいろは空のいろ」の世界を堪能する・・・というふうにしないと,多分,全曲を流して聴いたり,ましてやシャッフルで聴いたりしたら,このB面の世界観は全く出ないと思いますです(どうしてもCDということなら,6曲目と7曲目の間に少し休憩を入れるとかさ。)。
 実は,谷山浩子のアルバムは1985年の「眠れない夜のために」以降買っていなかったのですが,今回,書くにあたって公式サイトを見てみると,デビュー35周年企画でピアノ弾き語り公開ライブレコーディングアルバムの「タマで弾き語り」っていうアルバムが今年になって出ているのね。ピアノ弾き語りには惹かれるところが大なので,気が向けば買ってみましょうかね。

 しかし,話は変わるのですが,フラッシュメモリーって本当に安くなったですねぇ。Adateのspeedy16GBが5000円を切っているのには笑ってしまいましたです。だって,ついこの間speedy8GBを1万円で買ったような気がするのになぁ・・・なんて思っていたら,ついアマゾンでカートに入れるボタンをクリックしてしまいましたです。まぁ,MUVOの中身を再度16GBに入れ替えて,joenadaに8GBを移植すれば何の問題もないので(私的には),そういうことにしましょうかね。で,次の3連休は特に予定もないので,シコシコとMUVOの入れ替え作業をすることにしましょうかね。1回入れ替え作業をしているので,もうやり方は覚えているしね。