ようこそ!このプログは,地方都市在中の私ことフルカワヒロミという腐れ外道が,これまで音楽活動等をする際に使っていた自己オフィスが有名無実化していることを嘆き,個人的な情報発信(というか,音楽を中心に好きなモノを好き勝手に語る)の場として,皆様のお目汚しを気にせず,書き殴っているものです。これを読んで同調してもらえたり,興味を示してもらえれば光栄ですが,なにせ不親切きまわりない内容ですので,更に深く調べたい方はリンク先やGoogle等の検索サイトでお願いしますm(_ _)m

兵士たちの連合赤軍/植垣康博


 今週はお盆に休みが取れない関係で一足お先に休暇を取得したのですが,子供が家にいるので食事は任せたと嫁さんに言われたので,基本的な生活パターンが,午前中に2時間自転車で走って,帰ってシャワーを浴びて,昼食の買い物をして昼食を作って,昼から本を読みながら昼寝をして,夕方に買い物に行って,夕食を作って,一杯飲んだ後に嫁さんと塾帰りの上の子供のご飯を作って,片付けて寝る(時々,子供を歯医者に連れて行くというオプションはあったが・・・)という毎日を月曜から金曜までしましたとさ。今日は,いい加減毎日遅くまで仕事をしたんだから昼飯ぐらい作って,私にも少しは休みらしい休みにしてほしかったのに,どうも嫁さんの職場の上の方が馬鹿ばっかりで仕事がどうにもならないらしく,今日も仕事に行くってさ。仕方ないので,今日も掃除をしてから昼ご飯の買い物に行きましたですよ。まぁ今日は,昨日のテレビでおいしそうな卵かけご飯をやっていたので,子供らは卵かけご飯が食べたいというリクエストだったので,後は私の子供の頃の貧しい夏休みの昼ご飯を再現するために,キャベツの千切りに鯖みその缶詰をのせたものを食べましたです(本当は,子供ら用にもう一品あったのですが,それは割愛します。)。鯖みその缶詰をキャベツと一緒に食べながら,あ〜夏休み・・・と思ったのは私だけなんですけどね。しかし,嫁さんも毎日ご飯を作らせるのなら,私が出している生活費から食費を返してほしいんだけど,一切そんなことしてくれたことはないから,期待しないことにしようっと。むなしいなぁ・・・

 で,折角の休暇なので,本でも読みたいなと思い,共産趣味者としては,永田洋子の「十六の墓標(上・下)か,坂口弘の「あさま山荘1972(上・下)か植垣康博の「兵士たちの連合赤軍派」のどれかを読もうと思ったのですが,上下巻あるものは家事もしないといけないので,ちょっと読み切れないかもしれないことと,指導者側でなく一兵士の視線での話を読みたかったこと,また山本直樹のレッドがどちらかと言えば,まだ植垣康博(漫画では岩木ですけどね。)の話を中心に描いているので,やっぱここは「兵士たちの連合赤軍派」だろうということで,この本にしました。
 この本の構成は,植垣康博(以下「植垣さん」と書きます。)の子供のころの話,全共闘時代の話,赤軍派に入ってからの話,連合赤軍になってからの話,山岳ベース事件の話と自分自身の逮捕という大まかに5つの話になっていますが,どれも興味深く読みましたです。以下,個人的な感想を書きますが,あまり書きすぎて本の中身をあまり書くことは避けたいと思いますので,よしなに。というわけで,今回も漣赤ネタで行くわよ!
 まず,植垣さんの子供時代の話なんですけど,植垣さんの実家は裕福な公務員の家庭だったそうなのですが,それ故に劣等感があったということなのですが,裕福でなかった私からすればなんなのかぁという感じなんですよねぇ。さっきも書きましたけど,夏休みの昼ご飯といえば,そうめんかご飯に鯖みそ缶という私にとっては金があることによる劣等感なんてよく分からないとしか言いようがないんですよねぇ。植垣さんの本からすれば植垣さんの近所の子供らが私になるんでしょうかねぇ。実際,裕福な家庭ではなかったので働きづめで,自営業だったこともあり私も父親と一緒に軽トラに乗って一緒に仕事に連れて行かされた(子供が乗っていれば駐車禁止で捕まらないことや,子供でも多少は荷物持ちになるので。)ときに,ちょうど,メーデーか何かのデモ行進をやっていて,父親がポツンと「そんなことをしている暇があるんなら働けば金になるのに・・・」とつぶやき,それを聞いた私もそれに同意したものです。で,植垣さんや裕福であることの劣等感だとかエリート選別のための教育だとか批判しながら,結局は大学の付属中学校へ行ったり,最終的には国立大学へ入っているので,なんだかなぁと思いつつ,屈折した少年時代を過ごしたのね(私とは違う意味で)と思いました。
 で,弘前大学に入学し,全共闘時代の話になるのですが,この辺の話はなんか時代を感じましたね。私が物心ついたときには,もはや新左翼は大衆路線ではなく,内ゲバを繰り返す単なる暴力集団というイメージ(特に三菱ビル爆破事件の印象が強い。)だったのですが,60年代末のときには(一般的には暴力学生というイメージだったんでしょうけど。)一般学生も含めて,前向きに運動に身を投じていたんだなぁっていうことが感じられました。結局はバリケード封鎖解除後に行き場をなくして(逮捕・勾留後に)赤軍派に身をゆだねることになるんですけど。学生運動(というか全共闘運動)の一番の盛り上がりと衰退を見てしまったことが赤軍派への参加の引き金になったんでしょうかね。
 赤軍派加入後の話はなんか赤軍派の上命下達な感じがもの凄く感じられて,植垣さんは本当にこんな組織で納得して活動ができたのかしら?と思ってしまいましたです。しかし,赤軍派は革命軍であり,軍隊である以上,組織としては上命下達にならざるを得ず,そうすると組織としても堅苦しいものにならざるを得ないんでしょうね(だからこそ,タイトルが「兵士たちの」となっているんでしょう。)。そして組織に身をゆだねてしまえば(考え方も含めて。),それのみが正しいことになってしまうのは,その後のいろいろな事件からも明らかなことで,納得うんぬんではなく,それが日常であり,当たり前になってしまったんだろうなぁというのは感想なんですが,最初のころ反対していた管理教育と同等の(見方によってはそれ以上の)管理にどっぷりと浸れてしまうんだから人間は怖いなぁと思ってしまいましたです。しかし,革命の手始めが万引きというのも凄い話だなぁと思いましたが,こういう組織にいる以上,まっとうな仕事にありつけるはずもなく,そうするとシンパからのカンパが主な合法な収入ということになるんでしょうけど,ハッキリ言ってカンパだけで革命なんてできるはずはなく,赤軍派はM(マフィア)作戦という銀行強盗闘争に突入していくのですが,その記述があまりにもあっけらかんとしていることには本当に驚いてしまいました。植垣さんがこれを書いた時にはすでに勾留中なはずなので,少しは反省めいたところがあるのかと思いきや,思いっきり明るく銀行強盗というか,闘争の一つとしてあっけらかんと書いていますが,本当にそういう心情だったんだろうなぁと思いました。しかし,一応建前としては人民のための革命なのに,どうしてこういう方向に行ってしまうのか,行ってしまったからこそ,あの結末なのか本当に複雑な気持ちになりました。しかし「銀行強盗のプロみたいだなぁ。」とか「包丁一本,さらしに巻いて,銀行へ行くのも,ゲリラの修行」とか,本当,笑ってしまうような会話をしていることには驚きというか,その辺の細かい感情については人それぞれだろうと思うので,興味があって機会があれば是非読んでいただきたいと思いますです。あと,ここで凄いなぁと思ったのが,山岳ベースで死んでしまう進藤隆三郎さんの恋人の林さんという女性が,それまでまったく学生運動とか新左翼運動のバックボーンがないのに,ただ彼氏が赤軍派の構成メンバーだったというだけで,特に抵抗もなくM作戦とか銃の運搬とかを手伝ってしまっているところです。きっと林さんもそれまでの生活に何らかの不満があって進藤さんにくっついて来たんだろうけど,それでも銀行強盗に当たり前のように手を貸せるものなのか?と思ったのですが,周囲の人間がそんな人ばかりで,当たり前のようにやっていれば(時代の空気もあったでしょうし。),そういうふうに流れていけるんだろうなと思いました。やっぱり人間にとって環境の与える影響は大きいんだろうな。
 連合赤軍になってからの話は山岳ベースでの話がメインで,本当にこれでもかっていうくらい,私から考えればどうでもいいことで人が死んでいくシーンばかりです。しかし,ここでの植垣さんは「革命戦士としてきちんと自己批判し,総括した上で共産主義化(個人が共産主義化することの意味が私にはよく分からないのですが・・・)しなければならないのであって,それができない場合には総括援助又は処刑はやむを得ない。」という考えになっていって,古山岳ベースでの殺人を肯定して乗り越えて行ってしまうのですが,山岳ベースのときに好きになった大槻節子さんが総括されるときの葛藤はものすごく人間臭く(それまでにも有馬さんという女性とセックスしたいとか結構赤裸々に書いてありますが・・・),やっと革命戦士の植垣さんではなく,人間というか1人の若者としての植垣さんをかいま見たような気がしました。しかし,結局,植垣さんは大槻さんを殴れるのかと言われ,殴ることに決めたのですが,その前に大槻さんが亡くなってしまうというなんというか複雑な状況になったりして,現実なのにドラマチックだなぁ・・・というよりも極限の事態にドラマ以上にドラマチックにならざるを得ない現実に驚愕してしまいましたです。しかし,このときの赤軍派の指導者の森恒夫の言葉がもう,何というか狂っているとしか言いようがないんですよね。これについては,引用させてもらいますが「お前は女にもてる。お前にとって女はいつでも寄って来るものだ。だから,お前にとって,女は手を出せばすぐに得られる。そうすると女は誰でもいいということになる。中南米でハーレムで育った男が革命かになった例があるが,お前はどうなんや,革命かになれるか。」って言っているのですが,ハッキリ言って論理が破綻していますよねぁ。こんな奴が指導者なんだからどうしようもないよなぁ。女にもてちゃあいけないのか?それは単なるあんたのひがみ根性でしょう。一人の女性が好きなのに,女はどうでもいいとか,あんた本当に頭がおかしいんじゃないですか?って感じですよね。
 最終的に植垣さんは逃げる途中の軽井沢駅で逮捕されてしまうのですが,そのときの植垣さんの格好がほとんどホームレスよりもひどい状態で,これじゃぁ怪しまれない訳はないですよね。でもそんなことに気がつかないほど,精神的に追い込まれていたんでしょうね。
 最後に,この本を書いたとき(1984年)の植垣さんによる後書きがもの凄く感動的なんですよね。これだけのことをした,それをした自分を今どのような位置に置くべきか,もの凄く悩みながら書いているのがヒシヒシと伝わってきます。本当,興味のある人は本屋でこの部分だけでもちょっと読んでみて,そして気に入ったら買ってじっくり読んでもらえればなぁと思います。また,解説を新右翼鈴木邦男さんが書いているのですが,解説のタイトルの「僕にとってこの本はまさに教科書だった」と書いてあるとおり,誰にでも,閉鎖的な状況で盲目的に信じるしかない状況になればそうなってしまう(その後のオウム真理教が正にそうでしたね。),だからここに書いてあることを正しく読み,これから同じことをしないようにしなければいけないということを書いているのですが,まさしく今を生きる我々の教科書にしなければいけないんでしょうね(と思いつつ,こんな本を読んでいるのは,物好きか共産趣味者しかいないよなぁと思ったりもする。)。 
 しかし,個人的にはこの本のおかげで,山本直樹のレッドとの相関関係がかなり分かりました。これまでネット上で初期の相関関係を記述したものはあったのですが,単行本としては2巻(連載の方はもっと進んでいるのですが。)分の相関関係をこの本とあとネットで調べながら自分なりに作ってみると,レッドがより面白くなりました。こうなると,永田洋子さんの「十六の墓標」と坂口弘さんの「あさま山荘1972」も読みたくなったなぁ。こうなると年末年始の休暇でどちらか(個人的には永田洋子さんの「十六の墓標」になりそうな気がしていますが。ただ,資料的には坂口弘さんの「あさま山荘1972」も捨てがたいし,悩むところですな。)読むしかないかと思っていたりもします。

 え〜最初に今週休暇を取得したけど,家事ばかりで休暇でもなんでもないよなぁみたいなことを書きましたが,明日の日曜日から子供らを嫁さんの実家に送り込み,嫁さんも来週の半ばぐらいから実家に帰る予定となっているんだよねぇ。ということは,仕事には行くけれど(家にはクーラーがないので,仕事に行けば涼しいしな。),実質,来週は私にとっては休暇のようなもんだなぁ。えっへっへ・・・。嫁さんには子供もいないし食事は一切作らなくていいよと優しいふりをして言っているので,そういえば今年はビヤガーデンに行っていないので,嫁さんが実家に帰ったら,一人でゆっくりビヤガーデンに行って,ダラダラと生ビールでも飲もうかなぁ・・・あぁ本当に楽しみだなぁ!